20. 感情と性エネルギーの変容と昇華

「愛 love」につながる深刻な問題について取り組むことは、

役にたつし、実際に必要なことです。

人間の魂のなかで、いつも沸き上がっていて、

多くの内的な苦悩を起こしている、

      「愛 love」につながる多くの想定される難しい事を、

「どのように解決を始めるか」

  「どのように衝突を収めているか」

を考察する。

 

○「愛love」に関連して起こっている衝突は、いくつかのタイプに分類できます。

「本能的にこみ上げてくる欲求とそれにまつわる数千にもわたる状況」と

「満足を探そうという衝動を押さえようとしている理性」との衝突です。

 

 「感覚の魅惑=肉体的な魅惑」と「ハートからこみ上げてくる熱意」との衝突、

 

 「熱情や感情によっておこされる欲望」と「義務・責任・尊厳の気持ち」の衝突、

 

 「特定の人への感情的執着」と「より広く高次な愛からこみ上がる熱意」との衝突です。

 

○こういった衝突の全部が、しばしば偉大な魂を産みだす原因になります。

探し求める事とそれにつながる真摯な苦しみです。

これらは、神聖な闘争であり素晴らしい勝利を意味します。

結果として、その人の浄化と崇高さの過程となります。

確かに、こういう衝突は、魂の向上のための重要な段階として記銘されています。

 

 

○こういった内なる戦いは、ひとりの人生の旅路で、最も苦しく激しい時だと感じる体験であります。

ですから、

「そういった人生の苦しい体験」を回避してすまそうとする事には、

何の価値もないのです。

見せかけの中庸さを身につけ、

恐怖や無知をもったまま、

こういう大切な問題に取り組む義務から背を向ける人がいますが、

 

実は、この回避することが間違いを犯しているのであり、

自分自身が「失敗」の見本になってしまう原因になるのです。

 

逆に、勇気を持って、

「内なる心の問題」や

「人生で起こる他人・もの・事につながる外的な問題」に対して、

「the spiritの光」に照らして、

物事にしっかりと静から取り組む勇気を持つ人は、

混乱や失望を避けながら、

失敗や道徳的違反をすることなく、

自分や他人に不必要な苦役を課すことなく、

人生の長い道を旅することになります。

そして、時には、

「対立するエネルギー」と調和をもたらす好ましい方法を

予期せずも

発見する事になります。

自分をがんじがらめに縛りつける事なく、

気品に満ちながら、

自分を解放するという方向で、

人生で直面する問題を解決する事になります。

 

これから、上にあげた衝突を克服するための、さまざまな態度をみて行きます。


低い要素を押さえ込む事について

 

人間の精神を理解する上で、

厳格に物事に白黒をつける主義の人や、

自分だけは他人とは違うんだと切り離す人や、

本能や熱情は基本的に悪であり不純であると見なす人など

は、

当然の結果として、

「愛love」につながる衝突と混乱に直面した時に、

おそれと失望を抱いてしまいます。

 

その結果、

押し込めたものが、出てこないように押し戻す為に、

あらゆる努力をする傾向にあります。

しかし、そういう態度が原因となって

反動が起こるのです。

 

心理学的な観察で判ったことですが、

人間の中には、

押さえ込んだり消滅さそうとしても決してなくならない

「内からこみ上げてくる力」があるのです。

 

○抑圧するという方法は、

「内なる衝突を起こしている要素が外部に出て、(社会的)問題を引き起こしてしまう事」「防ぐ時」のみ

  使うことが出来ます。

          バランスを取るために力で押さえ込むのです。

     しかし、

力での抑制は適切ではないし、満足をもたらす解決ではありません。

「抑圧する行為」は、

      個人の多大なエネルギーを使うことになり、

      資質を落とし、他の活動をも押さえてしまう事になります。

「押さえること」が

      内なる緊張を産みだし、危機に面したとき影響が出てきます。

           あるいは、

      心理面での障害となって出てきます。

 

○人によっては、

     このことを捉えて、

    「性的な抑制は個人の健康に害があることの証明である」

     と解釈しています。

しかしながら、非難されるべきなのは、「禁欲」ではありません。

愛のエネルギーのバランスを取ろうとして

        間違った方法がとられることです。


本能と熱情に自由な統治権を与えること

この態度は近年になって広がって来ました。

     それは、「行き過ぎた抑制の反動」としてか、

    あるいは「宗教観や道徳観が弱くなってきた事の成りゆき」としてです。

  義務に対抗して、個人の権利が強調されるようになったのです。

○ルソーとその信奉者によって唱えられた「自然に帰れ」という動き、

 古代ギリシャの快楽主義や審美主義の理想、

  物質主義、

  実利主義や、

  philosophical positivism、

  イプセンによって脚光をあびた北欧の厳格な個人主義等

      は、

    前世紀(19世紀)の哲学のおもな動きでした。

 

これらの事が、

「わたし」という個人主義につながるカルトが

           生まれる事に貢献してきました。

さらに、

 本能や情動を自由に表現することを正当化しました。

    熱情や気まぐれに身をゆだねることにつながったのです。

○こういうライフスタイルの結果は、よく知られているとおり、

   個人のレベルでも

   集合レベル(the collective level)でも、

                   破滅的です。

「精神的(spiritual)な次元で

    生まれ変わる事の権利」を売り渡してしまった人の期待する幸せは、

                   全く実現しなかったのです。

 

そうした行き過ぎは、当然の結末として、

        失望や疲労感を生みだすことになったのです。

 

こういった熱情は満足されることはありません。

 というのは、

他の人たちとの相互の交流がないからであります。

       あるいは、

思いと相反する熱情によって打ちのめされてしまうからであります。

 

心の内面に強い行動の基準となる規範がない事が

        人間を安らぎのないものにしてしまいます。

        自分自身を頼りにすることが出来ません。

        自分の内側や外部で起こる変化のひとつひとつに

                    捕らわれてしまいます。

「私は偏見からまったく離れている」と見なしている人たちの中には、

       それ故に、

          低次の性質に囚われれしまいます。

自分の中にある「spiritualな要素に反する部分」に気がついて、

自分に満足が得られなくて、

        執拗に自分自身に抗議をしてしまうのです。

良心の声が心の平安を与えてくれないのです。

無駄なことをやろうとするのです。

「spiritualな要素に反する部分」の声を聞くまいと努力してしまいます。

 

自分が、

絶え間なく何かをやり続ける事により、

自分自身を見失うのです。

あるいは、

熱情に対して、

今までよりもさらに過激に耽ってしまう事により、

自分の息の根を留めようとしてしまうのです。

○言い換えると、

「自由に性的欲望を解放する事」

「本能と情熱に耽る事」は、

高いモラルの原則に反するだけではなく、

永続する満足が得られなくなるのです。

 

○幸いなことに、三番目の方法があるのです。

以上のような反作用を起こさずに、

解放・満足・安らぎをもたらす方法です。


本能と熱情と感じる事の変容と昇華

 

この方法は、永く知られていました。

というのは、

言葉どおりの「自然」な方法であるからです。

人間の本当の性質に調和しているし、

人を高める道とも調和しています。

多くの人が、直感的に、うまく使っているのです。

そのことに気がついていないかもしれません。

あるいは

その方法を知ろうとしたり知りたいとも思わないで

使っていることもあるのです。

 

というのは

心から「善」を求める人たちによって信頼されている

「内なるガイド」の語りかけや指示にすぐに従うからです。

 

○これは、錬金術(alchemy)に隠れている方法です。

本当のspiritualなalchemyであります。

内なる現実とプロセスを表現するのに、物質的シンボルをつかいます。

○硫黄、塩、水銀は、人間の精神の違った要素を表現しています。

Athanorは、そういった材料がいれられる容器で、人間自身をシンボルしています。

その容器がかけられる火には意義のある名前がつけられています。

Incendium amoris [the Fire of Love愛の火] です。

これは、熱を意味します。

「spiritual love」の変容をおこす力です。

このプロセスにかけられる物質は

、三つの変容をとげることになっています。

第一の段階では、その物質は、黒く変色します。

これは腐敗の段階として捉えられています。

それは、神秘家のいう浄化につながります。

第二の段階では、物質は白くなります。

銀に変容するのです。

銀色に変わることは、

魂が光明(Enlightenment)を受けることを意味します。

最高の三番目の段階では、

赤く色を変え、最後には金に変容するのです。

「the spiritual goldです。」

これが、the Magnum Opusの完結を意味します。

神秘家のいう栄光ある霊的融合(ユニティ)です。

 

○昇華の方法は、

バランスのとれたすぐれたキリスト教の神秘主義者によって、

意識的にまた無意識的に

認知され伝えられてきました。

例えば、十字架のJohnの言った事です。

「高度な愛のみが、低い愛を克服する。

徳が生まれるのは、熱情や欲望がコントロールされた時であります。」

もっと明確化した形で表現している言葉を引用します。

   フロイトは、

   彼の患者の性や感情にまつわる生活を身近に研究する中で、

      変容と昇華のもつ驚くべき可能性について確信しました。

   以下は、彼が患者の観察を通じて、述べていることです。

      性本能の要素は、

      昇華がおこるという可能性を秘めていると特徴づけられる。

         性的な目的を果たすこと事を、

            もっと奥行きのある社会的に価値のある目標に

                       変えて行くことができるのです。

        「最高の文化の成果は、

            知的な努力を通じて、

                  昇華された性エネルギーの集大成による」

        以上の様に言うことが出来るようです。

 

    イギリス人の作家 Edward Carpenterは、

          性生活の法則と特徴について深く研究した人ですが、

     彼は、もっとはっきりと述べています。

          人間には、

         「実現可能であり、また、実現されてきた」

              性エネルギーの変容が存在しうる。」

     そういう様に表明できる下地を持っている。

          官能性 と 愛

          Aphrodite(ギリシャの愛と美の女神)Pandemos and Aphrodite Ouranios-

                  は、

          うまく入れ替えることが出来るのであります。

 

   常識的な経験の結果として受け入れられていることですが、

         純粋に肉体の欲求を押さえることなしにエネルギーを出してしまうこと

            は、

         人間の特質である「愛love」をもとめる崇高なエネルギーを

                              奪うことであります。

         しかし逆に、

         肉体の満足が否定されたら、

         肉体は、

            こみ上げてくる感情の波に困惑してしまい、

                      危険な状態になってしまう事だってあります。

 

         しかし、

         この「感情的なemotional love」でさえも、変容することが出来るのです。

         感情的な愛が表にでることを、制御したり止めたりする事により、

           微細であらゆる所に隈無く存在するスピリチュアルspiritualな愛の影響力」に

               変えることが出来ます。


最後に、偉大なドイツの哲学者のショウペンハウエルの言葉を紹介します。

     快楽に対する傾倒が最も強くなる時とは、、、

        すなわち、最高の「spirituality(精神性)のエネルギー」が

                      最高に働こうとする時であります。

        一度でも、意識的に、spiritualな期待を押さえてしまった事があった場合には、

            そういったもの「spirituality(精神性)のエネルギー」は、

                             隠れていようとするものです。

        しかしながら、

        決意して「自分の意識がどちらに向いているか」

                             に集中する努力をするだけです。

 

        意識が

           悲惨で重大で苦痛に満ちた期待をしているのであれば、

       その意識の向きを変えてやることです。

           自分の意識の中に、

              もっと高貴で高い種類の「spirituality(精神性)に満ちたエネルギー」を

                     いっぱいまで満たしてやることです。

 

 

      この方法や、

      あるいは様々な他の方法の観察をすることにより、

       この過程(プロセス)を

            一つの段階から次の段階へと様々な形で、

       現れてくる愛(love)の「変容(トランス・フォーメ?ション)である

            と定義づける事ができます。」

       言い換えると

       1.本能的な性エネルギーが、情緒や感情のエネルギーに変容して行くことです。

       2.感情のエネルギーや個人的な気持ちが、「神の愛」や「人類の魂の愛」に昇華して行くことです。

 

●この「人間の愛が宗教的な愛に昇華して行く事例」は、

   多くの神秘家や聖人の生き方

    の中に見ることが出来ます。

 

○「偽の昇華」についてここに警告しておきます。

   私が話しているのは、

     「仮面の舞踏会」であり、

     「本当の人間の愛に代用品をあてがう」ことです。

  とはいえ、

確かに、本物と偽物の間には、いろいろな段階があります。

     ある人が代用品の愛で始めてしまっても、

     次第に、しっかりとした昇華が起こるようにもなるのです。

 

○本当の昇華と偽ものを見分ける為のはっきりとした特徴があります。

   本当の愛には、じだいに個人を超え宇宙に広がって行き、

     あるものに執着を続けるものではありません。

   それは、思いやりと光に満ちています。

   所有欲や感傷に捕らわれていません。

     この種類の昇華は、

   感情と性的なエネルギーが

      創造的で利他の変容に

       昇華されて行くことにつながっています。

 

○これは、過去に多くの芸術家や作家の人生にはっきりと起こったことです。

   ダンテやワグナーや、最近ではFogazzaroの事を思い起こしていただきたい。

 同じ事が、

   人智会や

   教育者や

   ソーシャル・ワーカーにも

       言えます。

  こういう場合は、

      母性愛や父性愛の昇華です。

       spiritualな面での母性や父性本能が、

       肉体や魂を癒す行為の中に、具現しています。

      (医師・看護婦・尼・教育家・ソーシャル・ワーカー、霊的ガイドなどに見られます。)

 

○そういった昇華を考えるときに、

「天才や例外的な素質を持った人がそのような昇華をすることが出来る」

     と考える必要ないのです。

  だれもが、自分の物差しの範囲内で出来るのです。

      しかし、再度、

   個人的な愛だけを実現しようとする偽の昇華

にたいして警告をしておきたい。

 

○ 最初に必要なのは、

それを達成しようという熱意です。

   この熱意は

     「真剣な意図・意志決定・熱意を持っていることを承認する事」

     によって達成されるのです。

その次に、

現実の行動に、決意を持って、移らなければなりません。

   自分自身を新しい活動に投げ入れるのです。

     活発な興味、熱望、熱意のある参加によって、

   自分から自己変容のためのエネルギーを引き出すのです。

そうする事により、

私たちのなかのあらゆるエネルギーが流れだすのです。

 

大切なことは、低い次元のエネルギーを、

       切り離したり、

       敵対視する態度で、押さえたり、

       押さえようと

    努力しないことです。

 

静かな決意でもってコントロールしようとすることです。

    そして、同時に、

       自分の体験している高いエネルギーを、

    くまなく表現する自治権を自分に与えることです。

 

   これは「愛すること」を減らすのではなく、

   もっとうまく愛する事になるのです。

 

○現代人は、

   自分自身の感受性を押さえようとする間違いを

       しばしばおこすのです。

         知性主義、

         なにも生みださない活動主義、

         野心・利己主義

      などが原因です。

  そのようにして、

      愛のいろいろなレベルや愛のあり方の「つながり」を

      断ち切ってしまうのです。

○必要なのは、

       おそれを持たないで愛することです。

   人

   理想

   高尚な社会的な物事(国や人類)

                 を愛することです。

   美しいもの を愛すること、

   最高のもの を愛することです。

 

この種類の愛の力は、光輝き、高みに到達しようとしています。

      そして、

    ますます魅力的なものとなり、

性的エネルギーや熱情や感情のエネルギーを吸収して行きます。

 

○このようにして愛することにより、

   人は

     「与えること」

     「創造すること」を

              しなければなりません。

 環境や個人の能力の違いはありますが、

   それぞれが違った方法で

     「与え」

     「創造する」のです。

        自分自身を与えるのです。

   自分のエネルギーが、

        外に流れ出し、輝き、広がって行くのです。

 

○このような態度で、愛の問題に取り組むことは、

        普通の方法とは違ったものです。

 

私は、、みなさんに、語れたと思います。

   それは実証されてきた事実であり・

   人生の法則であり、

   もっとも広がりがあり、

   高貴で、

   あらゆるものを受け入れるものです。

         同時に、

   もっとも実利的なかたちの愛なのです。

 

内側の性的・感情的なエネルギーの抑圧を、

      創造的で調和のとれた統合をもたらものにする

            唯一の解決法であるのです。

 

訳者注

キリスト教的倫理観では、性欲は悪ですし、儒教の影響の強い東アジア(日本・韓国・中国)も、その傾向があります。そかし、残りの東洋ではそのような見方をしていません。「性的エネルギー(シャクテイ)を高めてゆく(昇華する)方法というのは、印度やチベットのタントラや中国の道教の導引・練丹法などに、その伝統的なさまざまな手法があります。シャクテイ(性エネルギー)は、万物の根元的エネルギーであり、それを高次のものに高めて行くというのが、タントラです。チベット仏教では、基本的に僧は独身ですが、その他に、夫婦でセックスを使いながら、性エネルギーを昇華して行くという瞑想や、他のタントラ行を通じて、修行するという修行者達がいます。そして、普通の在家の仏教徒達がいます。どちらにしても、その根底は、あらゆる生ある存在に、慈悲の心を向けるという視点です。

今の日本の僧は妻帯をするのが普通ですが、性エネルギーを高めるというタントラやアサジオーリがここで述べている「性エネルギー」を高めるという姿勢ではないようです。

とはいえ、日本の仏教には、タントラ仏教の流れをくむ、真言密教がありますが、シンボルや概念(理趣経)として伝わっています。また、密教とともに日本に来た禅宗にも、「煩悩即仏性」という二元を超えた見方がありますが、具体的な昇華のための瞑想や、芸術への変容の修行体系は伝わっていません。しかしながら、有名な高僧や禅者の書や芸術作品には、創造的エネルギーに満ちた作品がいっぱい残っています。この章で、アサジオーリが、無意識的に、あるいは予期せずにみつけ、変容させたといえます。

●統合心理学(サイコシンセシス)の技法の中には、チベット仏教で使われているような、シンボルを使ったワークや、イメージワーク、内なるガイドとの対話があります。また、相手の対話方法や心理劇などがあります。

 

●日本社会の、価値基準からすると「感情と性的エネルギーを高めるのが瞑想である」と主張する事は、受け入れられない様な気がします。

日本では、煩悩を脱して、修養法として、自己を高めるため、慈悲としての。瞑想が語られてはいますが、「性的エネルギーや感情がスタートポイントである」という解説はないようです。

 

 

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