自分の中のサブ・パーソナリティー達に気づく(2)共に生き分かち合う喜びを高める相互尊重と援助のワーク。
(3)人間の深い智恵(プラジナ)=トランスパーソナルな意識とのつながりを広げる
(4)全人格的な調和・統合(シンセシス) = 個人の意識の調和化
★もう一つのサイコシンセシスの特徴は、オープンな体系であることです。アサジオーリはサイコシンセシスの目的を広げようとしたが、サイコシンセシスの元に一つの統括組織を作ろうとはしなかった。目的は「それぞれがそれぞれの人生観や世界観をつくり統合してゆく事を可能にする。オープンな体系です。総本山的な一つの統括組織を作ることは、目的と手段のはき違えであるというのがアサジオーリの考えだと思います。この精神でつながっていることが、サイコシンセシスのガイド(カウンセラー)達の共同体意識(コミュニティのきずな)と言えるかも知れません。
平松園枝 (東京) 内科専門医 クリニック・予防医療センター
岩崎正春 (石垣島在住) このホームページの解説者
伊藤雄二郎 (東京)
サイコシンセシス(統合心理学)学会アドバイザー
中川吉晴 立命館大学文学部助教授 ホリスティクック教育協会副会長
サイコシンセシスでは、人生の諸問題にたいしては、どんな人でも同じ立場にあると考え、サイコシンセシスを紹介する人を、ガイドと呼んでいます。ガイドは、人々を有意義な体験をしてほしいとガイドをしますが、どのような気づきと学びがあるかは、一人一人ちがいます。ホリスティック教育理念を読んでいただければ、理解していただけると思いますが、ひとりひとりの個性があるからこそ、全体が生きてきます。特定の分野では、だれもがすぐれています。人生のすべての面での絶対的な上下関係はありません。セラピストと患者という関係は成立しません。
●サイコシンセシスでは、ワークをリードするのをガイドといいます。リーダとは呼びません。リーダーや権威に従うという条件付けでは「自由な時間もお金も愛も健康も頭脳もある豊かな人生」は学び取れないからです。コーチングのコーチとも違います。それぞれの人は、個性がありかけがえのない命です。一人一人の個性があるからこそ、全体が生きてきます。それぞれの人生は、先例のない人生です。
●特定の分野では、だれもがすぐれています。人生のすべての面での絶対的な上下関係はありません。
●ですからセラピストと患者という関係は成立しません。
●コーチングという姿勢とも良く似ているかも知れませんが、コーチの判断で行動するのではなく、自分の選択で生きるという姿勢を尊重します。
●ガイドとは、ガイドを雇っての旅です。ガイドも参加者も、一緒に人生の旅をします。より安全に、より楽しめるように、大切なポイントでは、案内をしますが、それを見るか見ないか、取り組むか取り組まないかは、それぞれの意志によるのです。
●サイコシンセシスには世界中にコーチが沢山いますが、サイコシンセシスの権威者はいません。
●たしかに、人間には「これ人や考えさえ信じれば大丈夫だ!救われる!」というもの求める傾向にあります。それはエゴが作り出した実件不可能な幻想ではないでしょうか。確かに、そういうものをめざす権威主義の団体などはあります。サイコシンセシスはそのような視点をとりません。創設者のアサジオーリみずからそのような姿勢をとったことはありません。
このサイコシンセシス・コネクション・ジャパンは、営利団体ではなく、サイコシンセシスのめざしている理念が広まるようにと考えている人の、自由なネットワークです。
他にも、サイコシンセシスを学んだ人達もいます。ぜひ、このつながりに加わってください。また、みなさんも、ぜひサイコシンセシスのガイドとなって、参加してほしいと思います。
(それぞれのガイド達の進め方は、全く同じではありません。同じお花を使っても、違った生け花(アレンジメント)になるのと同じです。また、ガイドであっても、参加する人の個性は様々です。)
様々な美しさと可能性を持っている人達との出会いによって、様々な人生の旅路を体験しています。
1-1 自分にとって存在する「現実」とは心が捉える「世界」であり、リラックスが必要です。
1-2 心の世界(サイコ)に働きかけ、「成長」と「調和・統合(シンセシ ス)」を生み出す行動目標をつくり、シミュレーション(イメージワーク)します。その過程で、いままで「私は、なぜ出来なかったか」という障害に気がつく ものです。自分の内なる様々な性格(サブ・パーソナリティー達)の弱いところや未熟な所を見つけ助けてやります
1-3 セルフエスティーム(自尊感情)こそが自分らしい生き方を可能にします。
●この過程で、今まで無批判に受け入れざるを得なかった(日本の)社会の「しつけ・教育・人間関係・価値観」などの影響に気がつき、「自分の意志で自らの 人生を選び直す(脱同一化という自由)」という選択を行います。
10-4 サイコシンセシスでは、ワークをリードするのをガイドといいます。 リーダとは呼びません。リーダーや権威に従うという条件付けでは「自由な時間もお金も愛も健康も頭脳もある豊かな人生」は学び取れないからです。コーチングのコーチとも違います。それぞれの人生は、先例のない人生です。コーチの判断で、行動するのではなく、自分の選択で生きるという姿勢を尊重します。
ガイドとは、ガイドを雇っての旅です。ガイドも参加者も、一緒に人生の旅をします。より安全に、より楽しめるように、大切なポイントでは、案内をしますが、それを見るか見ないか、取り組むか取り組まないかは、それぞれの意志によるのです。
人生のとらえ方の一つ
高い山に登るだけが人生の価値でもありません。小さな山でも森でも一本の草花にも、小さな花の花粉の中にいる小さな虫の足の動きに大宇宙を感じ、夜空の星や満月の美しさをみつめる自分の小ささを感じ、川の水の流れや、大きな木の中に悠長な時間と人間の生を感じる。そして、人生には、笑いも涙にも満ちている。素直な人間関係とは協力だけを意味しない。不安も喜びも悲 しみも愛と同じようにある。
人間の目の美しさと輝き、笑いや涙、ハートの鼓動、愛、一体感、不安と深いやすらぎ、興奮と静寂、生の神秘!
そういう事をマイ ンドフルに(心を込めて)感る事が「自由な時間もお金も愛も健康も頭脳もある豊かなライフデザイン」には大切なのです。
2-1自分の能力を押さえるのではなく、お互いが能力を尊重し発揮する事により共に生きるという生き方(パラダイム)を考えます。
2-1相手の話を思いやりを持ち勇気を持ち誠実に対話をすること、対話により共通の合意と生き方をまとめることをめざす。
給料や報酬以上にWillingness「喜んでもらえるのがうれしい気持ち」から人からの豊かさがやってくるの考えます。「豊かなライフ」は、一人では実現しません。自分も周りの人にも環境にも恵をもたらす生き方が喜びに満ちた人生です。
個人の思考を超えた大きな意識に広がることにより、様々なインスピレーションがうまれ、自分や他人や自然との「いのちのつながり」を共感する。そこに様々な個人を超えた「やすらぎ」や「思いやり」や「愛」がもたらされる。
サイコシンセ シスでは非常に沢山の具体的な課題達成の手法が開発されています。(目標を実現可能にする時間管理、自分の感情・気持ちを相手の人に誠意をもって説明すプ レゼンテーション能力、セルフ・エスティーム(自己尊重)、意識熱意(モチベーション)の高揚、最悪の事態回避法、悪意や無知からの中傷や攻撃から自分を 守る対話法=アサーティブネス)など。自由な時間もお金も愛も健康も頭脳もある豊かな「ライフ(いのち・生活・生き方・仕事・人生)」が 目標です。
身体が緊張した状態では、感情も思考も精神も本来の働きを発揮できな い。まず最初に勧めるのは、疲労を回復し、身体の緊張をほぐすことである。ストレスにより精神的・身体的緊張が続くと病気を引き起こすだけでなく、つまら ないミスをしてしまい、問題解決がますますうまく行かなくなり、悪循環となる。リラックス出来ていないことが、自分の身体・感情・精神へのダメージとな り、人生で一番高くつく。逆に、心身がリラックスした時には、身体の自然治癒力・免疫力がたかまり、病気の回復・予防になる。また、学習能力や問題解決能 力は高まる。我々の多くはこの事を頭では知っている。しかしリラックスするのは簡単ではない。というのは家庭や学校教育ではリラックスよりも緊張により能 力を高める事をめざしてきた。また、「リラックスしろ」と声を聞くと、今までの失敗を思い浮かべ、重いとは裏腹に、さらに緊張状態が高まることさえある。 本 当の意味でリラックスを習うということは、まず、自分の中に教え込まれ組み込まれた緊張の悪循環に気づき、抜け出すことである。水泳と同じように、リラッ クスは習うことにより、さらにうまく効果的に達成することが出来ます。
身体の緊張をほぐし、リラックスの仕方を習ったあと、「気」の力を使い 五感に対する感受性(Sensory Awareness)を高めます。トレーニングする事により、「ものを感じとる力」も高めることが出来ます。この結果、毎日何気なく見ていた花や緑の色が 鮮やかに感じられるようになり、音楽や言葉が体にしみ入り、食べ物の味や匂いに敏感になります。また、自分や人、あるいは自然との「つながりかた」に、新 しい局面を発見することでしょう。健全な身体のイメージを育てましょう。
サイコシンセシスでは「意志」の他に「イマジネーション」を大切にして います。サイコシンセシスというとイメージワークと誤解する人がいます。自分にとって「現実」である「心の中の世界」で、美しい情景を想像し、そこでもの を見たり・聞いたり・動いたり・匂ったり・味わったりという心地よい体験を積み重ねます。それにより、
(人間のイマジネーションを育てるワークを、非常に大切な技法として使っています。)
良い健康・安らぎ・人とのつながり・豊かな自然の平和な地球。それは、心の中のイメージからはじまり、世界へとひろがる。自分の世界観イメージ=パラダイムが組み変わる事により、人やモノや自然とのつながり方が 変わる。イメージの広がりが未来を作ってゆきます。く。困難な時代だからこそ、心の中に積極的なイメージを巧みに育てませんか。
イメージワークの効果
1.身体のレベルでは、疲労回復・免疫力の改善がみられ、
2.ストレスに強くなります。
3.心理面では、自分に問題を起こしているサブ・パーソナリティー(感情的になった自分、傷ついた自分、エゴに満ちた自分)を見つけ対話を始めます。
4.芸術・精神分野では、感覚が鋭くなりインスピレーションで満ちた来ます。
イメージワークの及ぼすマイナスの効果
イメージワークの可能性して、視神経の疲れや白日夢や不眠などの心身症の症状の出る可能性があります。
現在この誘導イメージワークを、独立したセラピーとしている人たちがい ます。日本でもよく使われるようになりました。テクニックが絶対視され、その禁忌を無視して使われる事、マインド・コントロールの手段として使われる事、 偏った目標達成のため自己暗示的に使われる事に、危惧を感じています。サイコシンセシスのイメージワークは、そういう可能性を認識し、どんな目的で使われ るときでも、同時に「自らの意志で選択する力」を育てる様に組み立てています。
イメージワークについて、別のページにまとめたものがあります。
1. イメージワークをいのち・生活・生き方・人生の為に
2. 誘導イメージワークの組み立て方
3. イメージワークを活用しようとする人に
1. 効果とその弊害
人間は例えて話をします。人生をギャンブルとしてとらえる人、登山としてとらえる人、漁業としてとらえる人、上下で捕らえる人など、その世界の味方で違った人生になります。
だれもが多重人格という人間観
「あんたは二重人格だ」と非難する人がいるでしょう。その時は、「いいえ、二重人格者ではなく、多重人格者です」と答えませんか。従来型の人間観では「よい性格vs. 悪い性格」などと捉えてきました。「良いものはのばすが、好ましくないものは徹底的に戦ったり、排除したり、押さえつける」という姿勢でした。しかし、サ イコシンセシスでは、オープンでホリスティックな人間観にトランスフォーム(質的変容)する事を主張しています。「良い・悪い」ではありません。なく「自 分の中にいるたくさんの私(サブ・パーソナリティー=好きな自分も、嫌いな自分もある。)」に出逢い、それぞれの願いを聞いてやり、全体としての成長を願 うことです。
人間は、受胎から誕生までの間に、生物の進化の過程をおさらいして生まれ てきます。下の方から、魚の脳、は虫類の脳、馬のような哺乳類、猿の様な哺乳類、そして人間というように階層化されています。だれもが魚・は虫類・馬・猿 のような本能をもっています・誰もが多重人格なのです。自分の内に住んでいる大勢の違った性格の人たち(内なる動物、赤ん坊、幼児、少年、大人、親、老 人、高次元の自己、母性や父性とよぶ様々なサブ・パーソナリティー達)です。自分の中のすぐれたサブ・パーソナリティーを知り、と、頑固で欲求不満で傷つ いた未熟でサブ・パーソナリティーをも見つけてやる事が成長の始まりです。 サブ・パーソナリティー全員の願いを聞き、かなえ、育てる事が全体の調和につながります。
人を否定しない人間観を持つことが自分も傷つけません。
最近流行の言葉に「多重人格」や「アダルト・チルドレン」という全人格を 否定し排除するような見方がありますが、サイコシンセシスの見方では、「内なる子供が横暴になり、その他のサブ・パーソナリティーに迷惑をかけて、実生活 で問題を起こしている」と理解します。アダルト・チルドレンは、本当は、「うまく育たなかった内なる子供」であると私は捉えています。内なる子供は、うま く育つと、夢を育て人生を感動とワクワクしたものに変えてくれるのです。
「"Ice cream cones taste best when you are four years old!"
四歳の子供の時が一番アイスクリームがおいしい。」
という歌があります。
イキイキとした内なる子供が住んでいる大人には、たとえ、小さな事でも心 から喜びを感じることが出来るのです。つまり、いくつになっても、「アイスクリームはおいしい」のです。その味を台無しにしているのは、むしろ、内なる教 師や批評家や皮肉屋の大人のサブ・パーソナリティーなのです。
★今までにたどってきた人生とは、自分が選択してサブ・パーソナリティーに取ってきた行為・態度の結果です。そのなかで、成長を一番妨げているのは、自分の一番変えにくい部分(弱い部分、傷つき・気にしている)です。
次第に、自分が自分の言うことを聞かなくなりサボタージュし、最終的には、自分を拒絶したり、ワークホリック・依存症になって抵抗する事もあります。
問題のあるサブパーソナリティと全体としての調和をもたらすためには、やさしい内的・外的協力 (サポート) 体系を作ることです
1、課題のあるサブ・パーソナリティのが自分の中にあるという事実を受容し尊重する。
3、その存在の意味を深く理解する
4、今までのことをねぎらい、感謝する。尊重して、共感的に暖かく受容する
、その存在を分かった上で、今後は、他のサブ・パーソナリティーも含めた全体としての調和を図り、
全体を指揮していくのは自分であることを自覚し、副人格にもそのことを伝える。
G1サブ・パーソナリティー達との対話
助けてあげるサブ・パーソナリティーを選び、対話を始める
G2. 他人からうまく援助を受ける
.お互いに助けあうこと、
G3.自力で自分を助けることです。
結果を選ぶことは出来ないが、行動を選択することは出来る。全体の結果がこれからの自分となる。
声や動きを使った感情の表現 閉じこめられた感情のワーク
人間には自分の考えを感情やイメージを、声で動きで表現したいという自然 な欲望もある。しかし、二本足で歩き、機械や道具を使い、言葉を使う人間の生活では、自然な身体の動きが妨げられている。さらに、ストレスの為、人間関係 のために身体の筋肉を鎧のように緊張させ、呼吸を押さえ、顔を仮面の様にする事で、感情を生き埋めにしている。押さえ込まれた感情は消えてしまったのでは ない。醜い形で表れてくる。呼吸・発声・身体の緊張(心の鎧と仮面)を脱ぎ捨てるとともに、押さえ込まれた感情を解放し、自分の気持ちを声にする・動きで 表現する事は、癒しであり、大人が忘れかけている表現の楽しさです。ネオ・ライヒニアンセラピーに基づく
I.脱同一化(自分の意志で離れる自由・目標からの自由・共依存からの自由・依存症からの自由)
これは逃げ出した、戦い・排除することではありません。「とらわれない」でその状態にいるのも良し、離れるのも良し。
本当に やらなければならない・やりたいと思っている事(逆に、いやだと無意識的に反発している事)は、誰かのせいで教え込まれたものかもしれません。誰かから受け継いだ人生のシナリオかもしれません。やりたい事としなければならない事とを混同しないようにしましょう。人間は、良いものであれ悪いものであれ、関心 のあるものから影響を受ける。誰が・どんな組織や・モノが・信念や・考えが・自分のどの様な感情や性格が、自分のあり方に影響を与えているか気づいている 必要がある。そういう思考や行動から、自分の意志で離れる自由(脱同一化する力を)を持つことが大切です。これは逃げ出した、戦い・排除することではあり ません。主体的にそこから離れる力を持たなければ、それが良いものであったとしても、執着であり、本当の自由があるとは言えません。組織や教義から利用さ れる危険もあります。ここで育てようとしているのは、冷酷な意志ではなく、善意に満ちた巧みな意志である。人生を調和のとれたものに組み替え総合してゆく (シンセシス)であり、人生の深みと喜びを感じる能力です。
「わたし」は本当はどの様な事をやりたがっているのでしょうか? 本当に やらなければならない・やりたいと思っている事(逆に、いやだと無意識的に反発している事)は、誰かのせいで教え込まれたものかもしれません。誰かから受け継いだ人生のシナリオかもしれません。やりたい事としなければならない事とを混同しないようにしましょう。人間は、良いものであれ悪いものであれ、関心 のあるものから影響を受ける。誰が・どんな組織や・モノが・信念や・考えが・自分のどの様な感情や性格が、自分のあり方に影響を与えているか気づいている 必要がある。そういう思考や行動から、自分の意志で離れる自由(脱同一化する力を)を持つことが大切です。これは逃げ出した、戦い・排除することではあり ません。主体的にそこから離れる力を持たなければ、それが良いものであったとしても、執着であり、本当の自由があるとは言えません。組織や教義から利用さ れる危険もあります。ここで育てようとしているのは、冷酷な意志ではなく、善意に満ちた巧みな意志である。人生を調和のとれたものに組み替え総合してゆく (シンセシス)であり、人生の深みと喜びを感じる能力です。
1.身体のレベルでは、疲労回復・免疫力の改善がみられ、
2.ストレスに強くなります。
3.心理面では、自分に問題を起こしているサブ・パーソナリティー(感情的になった自分、傷ついた自分、エゴに満ちた自分)を見つけ対話を始めます。
4.芸術・精神分野では、感覚が鋭くなりインスピレーションで満ちた来ます。
イメージワークの及ぼすマイナスの効果
イメージワークについて、別のページにまとめたものがあります。
「あんたは二重人格だ」と非難する人がいるでしょう。その時は、「いいえ、二重人格者ではなく、多重人格者です」と答えませんか。従来型の人間観では「よい性格vs. 悪い性格」などと捉えてきました。「良いものは伸すが、好ましくないものはx排除したり、押さえつけたり戦う」という姿勢でした。しかし、サイコシンセシスでは、オープンでホリスティックな人間観にトランスフォーム(質的変容)する事を主張しています。「良い・悪い」ではありません。なく「自分の中にいるたくさんの私(サブ・パーソナリティー=好きな自分も、嫌いな自分もある。)」に出逢い、それぞれの願いを聞いてやり、全体としての成長を願うことです。
人間は、受胎から誕生までの間に、生物の進化の過程をおさらいして生まれてきます。人間の脳は、下の方から、魚の脳、は虫類の脳、馬のような哺乳類、猿の様な哺乳類、そして人間というように階層化されています。だれもが魚・は虫類・馬・猿のような本能をもっています・誰もが多重人格なのです。自分の内に住んでいる大勢の違った性格の人たち(内なる動物、赤ん坊、幼児、少年、大人、親、老人、高次元の自己、母性や父性とよぶ様々なサブ・パーソナリティー達)です。自分の中のすぐれたサブ・パーソナリティーを知り、と、頑固で欲求不満で傷ついた未熟でサブ・パーソナリティーをも見つけてやる事が成長の始まりです。 サブ・パーソナリティー全員の願いを聞き、かなえ、育てる事が全体の調和につながります。
最近流行の言葉に「多重人格」や「アダルト・チルドレン」という全人格を否定し排除するような見方がありますが、サイコシンセシスの見方では、「内なる子供が横暴になり、その他のサブ・パーソナリティーに迷惑をかけて、実生活で問題を起こしている」と理解します。アダルト・チルドレンは、本当は、「うまく育たなかった内なる子供」であると私は捉えています。内なる子供は、うまく育つと、夢を育て人生を感動とワクワクしたものに変えてくれるのです。
「"Ice cream cones taste best when you are four years old!"
四歳の子供の時が一番アイスクリームがおいしい。」
という歌があります。
イキイキとした内なる子供が住んでいる大人には、たとえ、小さな事でも心から喜びを感じることが出来るのです。つまり、いくつになっても、「アイスクリームはおいしい」のです。その味を台無しにしているのは、むしろ、内なる教師や批評家や皮肉屋の大人のサブ・パーソナリティーなのです。
問題のあるサブパーソナリティと全体としての調和をもたらすためには、やさしい内的・外的協力 (サポート) 体系を作ることです。
間違いなく人生は病気・老いる事・死の苦しみ(絶対苦)に加え、人との出会いと離別の苦しみに満ちており諸行無常である。自分の問題として、病気になり・年をとり・死を迎える過程で、どの様なことに遭遇するかをシミュレーションします。かなりショッキングな内容になると思いますが、自分の事を見直すチャンスになると思います。サイコシンセシスのの目的は、そこ(生老病死)から今を生きる勇気と喜びを見いだすワークです。人生は神秘的でもあり美しくもあり、笑いにも喜びにも満ちている。日常の中の小さなモノ事や人間関係のなかに、時には病気や苦しみの中でさえも、喜び(至高体験)を感じる事ができます。人生の厳しさと素晴らしさの両方を体験できるワークショップになるおもいます。
本当に、自分は人生に何を望んでいるのかを迷っている人。生まれ変わってやり直したいと思っている人、今まで目標にして来た事が本当に自分のやりたい事か?一生かけてする気か?死ぬ気でやれるか?とか確かめたい人には、生老病死の視点から洗いなおすのには、良いチャンスとなるでしょう。 生まれなおしに値するワークになると思います。
ホリスティックな心理学であるサイコシンセシスと大乗仏教
分析心理学や精神分析が人間の病理学的側面を研究して発達してけれども、アサジオーリはそれだけでは不十分と考え、人間の善なる(愛ある)意志が創造的に開花した状態にも注目した。科学や文化や芸術て様々な功績を挙げた人、すばらしい芸術家、高い精神性で人類のために奉仕した人達にも注目した。そこから統合心理学(サイコシンセシス)が生まれたのです。意志と魂の心理学と言われるゆえんです。
これは仏教のの成り立ちと似ていると言えます。
初期の仏教は生老病死の無常(人間のマイナスのサイド)から解脱する事がテーマでした。
シャカは、生老病死の苦から逃れる事ぱできない,人生は無常である。其の苦は出家し瞑想し、出家して悟りに達する事によってのみ解脱出来るというが、初期の仏教の立場でした。
確かに、人生の夢や目標や.愛する人との繋がりも、病気や老いや事故や死によっていとも簡単に崩れてゆきます。医学も、最終的には、死の前に敗北する。
時代が進み大乗仏教になるとさらにこの視点が進化展開されて行きました。生老病死からは逃れる事は出来ないが.
大乗の思想には二面がある。一つは、それは人間の生老病死と離別の苦を無常と捉える人間暗黒面への深い洞察であり、
もう一面は、そのなかでも、人間の中なる仏性の可能性への賛美であす。われわれの中に無限の仏性が隠れている。その部分に明るい認識の光を当てようとするのが大乗の極意です。
世界というものはすばらしい。どんなに科学が進み知恵が進んでも、生はやはり解きがたい神秘=Wonderを含んでいる。それは無限の可能性(宝)を宿している。
無限の宝というものは、何よりも、自身の中にみあなたの中にもある。自分の中の、世界の無限の宝を開拓する。これは大乗(タントラ)仏教の思想です。アサジオーリも神智学の影響を受けており、光明体験をしています。
サイコシンセシスの人間観に近い大乗仏教をうまくまとめた白隠禅師の座禅和讃
タントラ(大乗の秘密)は無常な世界に至福の悦びに包まれながら生きる(死ぬ〕ことです。一杯の水に命の潤いを感じ.、ー輪の花の中にいる虫に、それぞれの人の眼の輝きや声や鼓動や躍動に個人を越えた人類の命を感じる。個人を越えた(トランスパーソナル)な存存在(低次から高次の神霊まで)をも感じる。自分が全存在と共にいる愛を感じながら、歓びと静かさの中に満ち足りた呼吸をして、この世を安心して生きる(去る)ことです。
白隠禅師の座禅和讃
日本のホリスティック教育のルーツ