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メールリスト「ホリスティック」の

要約 Part 1.一般意味論の紹介

ホリスティックな教育・健康・医学に興味のある人達の為の意見交換の場として、メールリストによる対話が続いています。参加希望の方はpjc-iwas@aqua.biwako.ne.jpまで。

この要約は、メールリストでの対話の中で、私の書き込みだけを紹介しています。メンバーのコメントなどは、入っていません。参加したい人は、メールをください。

hal4life@joy.ocn.ne.jp

 

パート1.目次

0. 始めに

1. ホリスティックとは、雲をつかむ話? 

1-0. はじめに

  1-1.ホリスティックとは雲をつかむこと?

  1-3.ホリスティックという言葉で何を伝えようというのか?

1-3-1. 言葉に持たせたい意図 (Will)

   1-4.一般意味論について簡単にまとめます。

1-4-1.地図は現地ではない

 1-5. 環境と人間    

1-5-1. コージブスキーのとらえる人間、

1-6. 今回のおしまいに

番外 ======ご先祖様========

2. あなたに取っての「世界」とは?

2-1.「世界をあらわす地図」と「その現地」

2-2. みなさんの世界にたいする「問いかけ」

 2-2-3 本の紹介「愛することを選ぶ」

2-3.人間の抽象(世界の取り入れ方)に影響をあたえるフィルター

2-3-1. 「モデル」を使って考える事の注意。

2-3-2. コージブスキーやボアの考えていた、世界のモデルを紹介します。

2-3-3 ボアの考える人間の抽象の過程に影響を与える6つのフィルター・モデル

2-4. オスかメスか、それが大問題の国 牛のいない国!! 2000/05/27

3.地図と現地シリーズ

3.1「地図は現地ではない」その2 「同じ地図」でも、ちがった「背景(現地)」!

3.2.「地図は現地ではない」その3「実現不可能な地図!」

3.4 「人間は、地図に反応する動物!」

3.5.「地図は現地ではない」その6.日本では今でも人間の首を切っている?  Fire!

3.6.「地図は現地ではない」その7 「現地がどうでもいい地図」 2000/06/11

3.7.「地図は現地ではない」その8 「本当は質問ではなく・噂でもない、メッセージ」

3.8.「地図は現地ではない」その9 外交辞令

3.9.「地図は現地ではない」その10  交渉の為の駆け引き

3.10.「地図は現地ではない」その11 本当に自分の地図? 6/27

3.11.「地図は現地ではない」その11の続き 元ソ連のスパイ?の話

3.12.「地図は現地ではない」その12 偽物の方が本物らしい

 

4.0=======迷路の中のネズミと人間=============

4-1.     私の中の「怒れるサブ・パーソナリティー」 

4-2.    一般意味論のもう一つのポリシー( Delayed Reaction )

      すぐに反応しないで、時間をかけて、吟味すること

4-3 No More Rat Race! 

ネズミのように、群衆として一斉に走り出して、集団自殺してしまうのはやめましょうね。

5.0 言葉のもつ宿命 I

5-1. 人間の言葉による思考は、意識のごく一部にすぎない

5-1-1 アートは言葉で表現できない。 

5-1-2  言葉で表せない記憶

5-1-3 別なことを同時に考える

5-1-4 「口からでまかせ」の方があたりまえ?

5-1-4  それで、しあわせ? アレキサンダー大王が、東方の賢者に出会った 

5-2. 言葉の宿命 II

5-2-1. 一つのを選ぶことは、他を捨てること

5-2-1-1. 世界最高の宗教

5-2-2.「うちのお父ちゃん世界一意識」

5-3 「最高でないとつまらない。」と思いませんか

5-4. 世界観の転換(絶対評価から相対評価へ)

5-5. 「同じ人生だ、おもいっきり最高の良い思いをしよう!」

5-5-1. 体験にタグ(名札)をつけよう=「私にとっては」という名札

5-5-2. 製造年月日の名札入れること

5-6. 「こんな考え方をする事を、あなたは、許してくれますか??」

5-6-1.「愉快に笑ってみませんか」

6.0 人はどのようにthoughts(情報・言葉・考え方・思考)に接してきたか

6-1. 一般意味論のシンボルについて

6.2.西洋でのthoughtsの極端でおおざっぱな流れ

6-2-1 ギリシャのアリストテレスの時代

6-2-3 中世 教会支配の時代

6-2-4 近代 

6-2-5 現代

6-2-5-1 政治的プロパガンダの時代(第二次世界大戦終了頃まで?)

6-2-5-2 企業と商業メデイアの時代

6-2-5-3 グループメディアの時代(アメリカや日本では1970年代以降)

6-2-6 情報化社会の特色   電子回路にできた集合的無意識??

6-2-6-1. 電子回路を通じて送られてくる「thoughts」の洪水に対処したら良いだろうか

6-2-6-2. 将来の可能性(選択肢)をどこにもとめるか?

6-2-6-3. 個人の「(thoughts)=(情報・言葉・考え方・思考)」に対する受け入れ方

6-2-6-4. 個人の「(thoughts)=(情報・言葉・考え方・思考)」に対する接し方(発信の仕方)

6-2-6-5. 他人とのthoughtsとの交流の付け方

7.0. 21世紀の選択

 

 

   

  

始めに

ホリスティックな教育・健康・医学に興味のある人達の為の意見交換の場として、このメールリストを作りました。現在38人の人が登録されています。

(2000/04/03)

本当に、さまざまな職業や背景や興味の人ばかりで、これは、面白い展開が出来そうだと、ワクワクしています。インターネットでなければ、絶対出会えなかった背景の違う人が集まってきています。

現実に38人の人が集まるのにはかなりの会場がいります。会場の確保、スケジュールの調整など、さまざまな手間が暇の人的エネルギーがいるのですが、このメールリストでは、登録だけで、さまざまな人の出会いが起こる。デジタル・コミュニティの出現です。

一方通行メディアの本では決して出来ない、双方向のやりとりでこのメールリストが動き出す。

     なんと、楽しい試みでしょう。

 

   

ホリスティックな教育・健康・医学について、話を深める前に、このメーリングリストで、言葉と人間の行動についてふれる事は、一般意味論として、対話をすすめる上で必要な事だと思います。

 

みなさんの書き込みは、さけられる専門語は、無くしてください。そして、必要な言葉は説明をお願いします。当たり前の日常語と勘違いしている仲間言葉があります。また、同じ言葉が、専門分野がずれると

同じ意味で使われていないこともあります。

 

そういった事も考えながら進めましょう。

--------------------------------

では、予告として、みなさんのイメージを

働かせてください。

 

目を閉じて、箱をイメージしてださい。

 

どんな、箱がイメージに浮かび上がりましたか?イメージが出たら

下の方にスクロールしてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数学の先生の箱は、黒板や紙やモニターの上で書ける箱かもしれません。

 

 

 

木工をする人の箱は、箱の厚みがイメージされるかもしれません。どのように、つなぐか、釘、接着剤、木材の種類や木目の方向を思い浮かべたかも知れません。

 

コンピュータなどの基盤や機械をいれる箱を作る人は、パーツの配置や、電磁波の影響を考えたり、熱の事を考えて、イメージするかも知れません。

 

商品のデザインを考えている人は、どうしたら印象的な形か色はどうするかをイメージするでしょうか。

 

コンピュータのプログラマーに取っては、箱のデザインよりもどこに、どういうスイッチがあるだけで、材質形はどうでもよいかもしれません。

 

 

 

 

数理生物学なんかの人は、人間の脳をブラックボックスと見る人もいます。

 

 

 

みなさんにとって、パンドラの箱とは何でしょうね。

 

日本の昔は、娘さんが箱に入っていました。

 

 

 

なんで、BOXINGと言うのでしょうかね?

 

 

などなど、いっぱい箱があるでしょ。

 

他人の言葉と世界の見方を知るのは、面白いではありませんか、

 

では、三日の日に、最初のarticleを送ります。では、

Hal Iwasaki

 

   


1. ホリスティックとは、雲をつかむ話?

1-0. はじめに

●みなさん、こんにちは。これからml-holisticというホリスティックな教育やヘルスや医学に興味のある人の為のメールリストを開きます。予告通り、最初に一般意味論の基本的な考えを紹介します。というのは、このメールリストは、基本的には言葉(文字)を使って、対話を進めようと目指しているのですが、参加している人の参加の意図も様々であろうし、仕事やバックグランドがかなりバラバラですから、同じ言葉が、専門の違う人には、少しずつ違った意味でとられたりする事があります。○言葉のマジックに引っかかって、誤解や対立が起きたりします。ネットでの喧嘩や中傷は、現実の顔と顔をつきあわせてする喧嘩よりも、たちが悪いことがあります。最初から悪意がなくても、意味の取り違い、解釈の仕方、二値的宿命から、悪いように取ったりと、<<言葉ならではの喧嘩>>がおこる可能性があります。 ●過去の体験から、特定の言葉に、特別な感情をもっている人がいたり、新しい意味を与えようという意図で使っている人もいるからです。このメールリストには、ホリスティックという言葉を良く知っている人もいるし、普通に使っている人もいます。使っている人でも教育界の人と医学界の人では、まったく同じ意味に使っているとは思えないときがあります。ホリスティックという言葉を使ってメールリストで対話しているうちになんか、違うような違和感を持つようになり思考が空中分解することだってあるからもしれません。そうではなくて、違った職種で、同じホリスティックという言葉を使う人達の、共通の理解と、協力関係の生まれる場となればと考えています。

 

      1-1.ホリスティックとは雲をつかむこと?

●これから、進めていこうとしているリストのタイトルであるホリスティックとは、かなり漠然とした、しかも、かなり大きな概念です。その下には、いっぱい小さな概念が詰まっています。そこで、二つのイメージワークをしてみましょう。    

○最初のイメージワークです。

「開いた傘をイメージしてください。その下にはどんなイメージを想いつくことがですますか。」

 

人がいるでしょうか。一人ですか、二人ですか?

 

○次のイメージワークです。

「大きな雲をイメージしてください。では、その雲の下にはどんなイメージを思いつく事ができますか。」

これは、人によってずいぶん違うと思います。

 

    1-2.抽象の階段

●英語では、大きな概念の言葉をアンブレラ(傘)・ワードといいます。つまり、一つの言葉の下には、沢山の言葉があることばです。たとえば、果物というのものの下には、バナナ・リンゴ・ミカンなどがあります。「では、メロンやトマトは野菜だから、果物ではないのか?」という声も聞こえてきそうですが。では、果物と野菜をカバーする言葉に、「食べ物」があります。つまり、言葉には、具体化の程度(普通は、抽象化の程度という)があるわけです。ですから、「ノンちゃん、スーパーに行って、バナナとリンゴと果物を買ってきて」と頼むのは、抽象のレベルが混乱しているのです。

ちょっと落語風にすすめると(+ さんと-さんの掛け合いです)

 

+言葉には、具体的な「物」がある言葉と、手には触ることのできない「モノ」がない抽象的な言葉があります。

 

-「太陽や月はさわれないのでは?」「火もさわれないよ?」

 

+ 確かに!!???そういう物ではなく、皮膚でさわるのではなくても、眼で見えるでしょう。

 

-「では、空気は?放射線は?」

 

+「確かに!!??」いえいえ、ここで言いたいのは、手でも、眼でも、舌でも、鼻でも、道具を使ってでも、知ることのできない「もの」があるのです。

 

-「あれ、どうして、耳を入れないの?」

 

+「するどい、耳を入れるかどうか迷ったのだけど、答えは、 No &Yesです。」

 

-「そんな、馬鹿な、本当は、どっちなんですか」

 

+「耳でも、手でも、眼でも、舌でも、鼻でも、知ることのできない「もの」を表す概念です。そういう意味では、耳を入れないのです。」でも、実体はないけども「考え・アイデア・概念」として言葉として理解できる「もの」です。つまり、五感ではなく、言葉として(聞いて)理解できるものです。○言葉の基本は、音です。人間の脳の聴覚領を中心に言語中枢があります。人間の口から発する規則のある音波を言葉として理解するするので、こちらまで混乱しそうなのでまとめます。<<言葉には、具体的に指示するモノとがある言葉から、五感では捕らえられない抽象的な概念の言葉まで、いろいろな抽象度(具体度)のレベルがあるのです。抽象の階段です。

たとえば,私の家にはナンシーとリナがいるのです。

 

- 「奥さんがナンシーで、娘さんの名前がリナで、国際結婚?」

 

+ いえ、犬の名前です。両方ともメスです。

 

- 「そりゃ、雄か雌かは聞いたらわかるよ。」

 

+ そうでもないよ、男か女かわからない名前もあるよ。カオルなんて名前もあるし、ジュリーやダニエルなんて、男も女もどちらもある。セキセイインコに勘太郎という名前を付けてかわいがっていたら、突然卵を産んでしまって、それでも勘太郎と呼んでいる人がいますよ。このメールリストにいます。で、「勘太郎にお婿さんがいる」って言っています。

 ですから、ナンシーは、メスのビーグル犬です。ビーグル犬は犬の種類です。家の犬はペットです。そして、動物です。そして、生き物です。そして、「物」です。

 

ナンシー->岩崎家のペット犬ー->メスのビーグル犬ー->犬ー->動物ー->生き物ー->有機物の塊ー->電子と陽子でできている物質です。

 

つまり、後になるほど、横に並んでいるけども、抽象のレベルが<高く>なるのです。言葉には、物質物ではないモノがあるのです。そういう抽象的な言葉には、愛、友情、信念、思想、救い、ストレス、自然、意識、理解などなどよく使われていることばがあります。その一つがホリスティックと言う言葉(概念)です。

 

 

 

   

 

    1-3.ホリスティックという言葉で何を伝えようというのか?

 

1-3-1. 言葉に持たせたい意図 (Will)

○たいていの場合、新しい概念(言葉)を使って何かを始めようと言う場合は、それにいたる歴史と背景があって、「次はこのようになって欲しい」という未来に向けてのその意図(Will)があるのです。ホリスティックという言葉の前には、シンセシスやインテグレーションという言葉が盛んに使われた時がありました。シンセシスはアナリシスの反意語です。日本語ではともに「統合」とやくせます。私の実践しているアサジオーリの創設した心理学は、サイコシンセシスと名前が付けられています。○ホリスティックは、全体と言う意味です。WholisticでありWを抜いてHolistic とする場合があります。では、全体はTotal という英語もあります。では、 Totalismは、辞書では「全体主義」という意味です。ホリスティックとは、全体主義(民主主義の反意語として使われてきた)をめざしているのでしょうか?○そういう疑問もでてきます。ホリスティックという言葉で何を目指しているのか、それぞれの立場の人たち、みんなで考えてゆき発言してゆきませんか。○このCFN(Creative Futurists Node)というグループの主催するドメインを借りてのこのメールリストを進めるのですが、このリストに入っている人で、ホリスティック教育の分野の人、ホリスティック医学分野の人、伝統医学や健康分野の人、それぞれの人が、ホリスティックという言葉を使おうとするに至った「今」までのいきさつや思い(大げさに書くと歴史と現状分析)があると思います。自己紹介として「私のとらえるホリスティック」と「私の」をつけて紹介してもらえますか。お願いします。

 

   1-4.一般意味論について簡単にまとめます。

1-4-1.地図は現地ではない

●一般意味論というものをつくりだしたのは、アルフレッド・コージブスキーという、ポーランド人です。もともと、貴族出身の技術者でしたが、1938年に、アメリカ東部で INSTITUTE OF GENERAL SEMANTICS をつくりました。そこで彼は1950年に亡くなるまで、言語学的、認識論的、科学的な研究及び教育をおこなってきました。「 SCIENCE & SANITY」で 「一般意味論は、一般に考えられている哲学、心理学、論理学ではない。人間のもつ神経系の最も適切な使い方を説明し、訓練する新しい外在的な学問である。」と述べている。彼の言葉で「地図は現地ではない」というのがあります。これを人間性心理学の「カール・ロジャーズ」の言葉として捕らえている人がいますが、時代的に言っても、コージブスキーの発言でしょう。これは、彼の祖国が、ドイツやロシアに占領されていて、ポーランドという国の名前が地図からなくなった時がありました。「ポーランド人はいるし、ポーランド語も消えてはいないしポーランド文化も消えていない。」という政治的発言でもあったのです。一般意味論として彼の発言は、言葉(地図)とそれの意味するモノ(現地)を混同しないという警告です。

 

1-4-2  言葉を知ることは、その内容を知る事とは別のことなのに!!●クイズとしての日本の受験技術は、作家の名前と、作品名をつなげる設問があります。

「○作家の名前も作品名も知っているけども、実際には読んだことがない。」というのは、本当に、理解が出来たことになるのでしょうか。○「ヨーロッパの地図を見て、国名を書き込め」という質問に、全問正解しても、ヨーロッパを知ったことにはなりませんね。

○英語の授業で、 「私は、フランスに行ったことがある」と作文をしたとします。 I have been to France. は、文章としては正しくても、「その人の世界での体験」は、まるまる「嘘で」すよね。

○それから、「私、胸がつまって、苦しいの。お願い、早く来て」という電話は、受け手が恋人か救急電話かによって、意味が違うわけです。○「私、かなしいの。この気持ちあなたに伝わるかしら」「うん、わかるよ」という状況があります。この場合、

  悲しいというエネルギーが伝わるのでしょうか?  どういう状況で悲しくなったかが分からなくても、悲しい気分が、時空をかけて、聞き手に運ばれるのでしょうか?。

  それとも、「わかった」と口先だけで言っているのでしょうか?  状況を想像して、同じ気持ちになって、聞き手も悲しい気持ちになるのでしょうか?

  あるいは、よく似た体験を思い出して、悲しい気持ちになるのでしょうか?

 

○どういう風に理解できるかコメントください。(自由意志で)

 

     

 

    1-5. 環境と人間    

1-5-1. コージブスキーのとらえる人間、

 

○コージブスキーは人間を AN-ORGANISM-AS-A-WHOLE-IN-AN-ENVIRONMENT と捕らえました。彼は、ハイフン − をつけて、8つの単語からできているものを一語として扱おうとしていたのです。わたし流に、訳しますが、「一つの(地球という)環境の中に(ほかの動植物)と一体となっている全体として一つの生き物」となります。○彼の時代から後に生まれた生態学的な生命観であるガイア意識「そのもの」ですね。非常に現代的だと思いませんか。われわれは、宇宙船地球号の時代、今この考えを受け入れることは、比較的やさしいと思います。でも、一般意味論ができたときはそうではありませんでした。伝統的な西洋の(ユダヤ・キリスト教的な)ものの見たかは、非常に二元的で、物事を黒か白かのふたつにしか分けない考え方でした。人間と人間以外を区別していました。また、主体と客体を切り放していたのです。言葉には、それの指示物・事がある。「自由」とか「真理」と言う言葉は、「自由」「真理」という絶対的なものがどこかにあって「われわれは、それを追求すべきだ。」と言うような態度です。科学の進歩は100パーセントの善であったのです。

 

 

1-5-2.  環境から切り離して、人間らしくいられるのでしょうか

○一人の人が、育ての産土(環境)や言葉や文化から強制的に引き抜かれて、言葉の通じない・まったく環境の違う所に、職業として必要な道具も為しに、放り込まれたとします。その人は、その人として・人間としてあり続けることが出来るのでしょうか。

○職環境と道具と関係者がいないと、職業人としてはなりたたないですね。○生徒がいないと先生は先生できませんよね。手術道具のない外科医。車のない修理工、そういうそれぞれの環境を離れてしまうと、職業人して存続出来ないのですね。○病院に入院すると言うことは、その人の個人の環境が激変してしまうのですね。その人を支えてきたものが、消えてしまうのです。○手術台に横たわっている患者は、その人の個人的な地位よりも、手術の対象物です。(生きている限り)

 

1-5-3   ノアの箱船の乗客 サブ・パーソナリティー達

○わたしは、一人の人間をORGANISMS-AS-A-WHOLE-IN-ENVIRONMENTS と複数にする事もあります。というのは、人間の身体の仕組みを発生学的に見てみると、一人一人の神経系には、単細胞動物から、魚、両生類、は虫類、ほ乳動物、そして猿として人間として進化のおさらいをして生まれてくる。脳の下の方から、動物のの機能が積み重なっている。そして、それが左右対称に二つある。つまり、一人の人間は、ノアの箱船で、の無意識の中には、いろんな動物の心、大人でも赤ん坊の心、子供の心、青年の心、男の心、女の心、大人の心、親の心、老人の心、霊としての心が詰め込まれていると考えても良いのではないでしょうか。サイコシンセシス(統合心理学と私は勝手に呼んでいます。分析心理学と対比するため)では、そういう一つ一つをサブ・パーソナリティーとして捕らえています。つまり、●●●人間には一つの性格があるのではなく、実は全員が多重人格なのです。それぞれのサブ・パーソナリティーの統合がうまく行くことがのぞましくて、どれか一つのサブ・パーソナリティーがいびつに育って他を支配してしまうことが問題であると捕らえています。●●●誠信書房からの「サイコシンセシス」「内なる可能性」という本がおすすめです。

 

   1-6. 今回のおしまいに

○人間をまわりの環境と一体の「もの」であると捕らえる一般意味論の視点は、ホリスティックなのですね。「ホリスティックは、こういう「もの」である」と辞書を引くように、このメールリストを読んでいれば分かるぞ」と思った人は、ちょっとがっかりかも。

○時代がかわり、社会が変わっていきます。それにつれて、思考体系も言葉もかわっています。誰かの作った何処までも成長する安定した社会と価値観(概念)を信じて死ぬまで安住できる境遇の人がいたら、ほんとにうらやましいと思います。○変化が早いのは、良いことばかりではないのです。適応能力が相対的に落ちた年寄達(精神的年寄りもふくめ)や組織には、つらい時代ですね。(;_;)

○この @cfnode.com つまり、Creative Futures Node に集まる人達は、様々な未来(futureS)を築きあげようとしている(クリエーティブ)人達 futristsの集まりです。今のところわずか30 人ぐらいですが、かなりの実績と実力のある活動が出来る人達です。よろしかったら、 ml-cfnにも、参加しませんか。

 

 

   1-7. 次回の予告とコメントおよび自己紹介のお願い○次回は、やく二週間から三週間後に配信しようと思います。それぐらいないと、みんなが読まないかも知れません。また、レス(コメントや返事)を出そうと思っても、もう内容は違うところに進んでいると言うことになるかも知れませんから。

 

●次回は、コージブスキーの捕らえる世界観についてです。彼は世界という概念を砕い(概念くずし)をWIGO(What Is Going On.)と捕らえたのです。つまり、一つの単語=Worldとして捕らえなかったのです。一つの同じ状態の物が、いつも存在しているという視点を取らなかったのです。世界を「何か動きつつある物」として英語の進行形(going on)として捕らえました。その「何か動きつつある物」の全部を、人間は捕らえているのではなく、感覚器官を通じて入ってきた刺激のうちの一部を抽象して「世界だ」と理解しているのです。一人一人の感じ方や、考え方や価値観が違うのが当然という考えです。

 

   

  1-7-2  ●自己紹介の形で、「私にとっての世界」を紹介してください。

 

たとえば、今までに一番行ったところ・居たところは何処ですか。順に並べてみてください。

 

イメージの強い所を考えると、自分の意識は何処を向いているか分かります。

 

○交通手段の発達していない伝統的な社会では、近くほど良く知っているのです。でも、交通手段と通信手段のの発達してきた2000年。精神的距離と物理的距離のギャップは面白いですよ。

 

 

1-7-3. たとえば、あなたにとって、世界という場合は、

 

○宇宙は入っていますか。

 

○あなたの世界には、お墓が入っていますか。

 

●「あの世」は「世界」に入っていますか?

 

 

○ダイバーでもある私には、海底の様子は、すごくはっきりとした世界の一部です。私のイメージの内で一番印象の良いよく行って行きたい所は、散歩コースの川の堤防・田圃のあぜ道・神社の森、昔すんでいた彦根、琵琶湖東側、八瀬大原街道、京都の白川通り、福井県の日本海(海中も含む)、San Franciscoの町、サンタ・クルス、伊吹山、京都寺町と大阪の日本橋のコンピュータショップ、長野県白馬山麓、などなどです。行きたくない場所は東京、デパート、デイズニーランドなどのテーマパーク、停滞している道路、などです。

 

 

1-7-4 それから、「私の世界(職業・家庭・趣味)」を自己紹介していただけますか。会社員や医師などの職名や役職名ではなく、WIGOと同じように、「誰にどう言うことをすることによってお金を貰っている」という様に一つの<<概念を崩し>>をするように、書いてみませんか。

 

たとえば私は、「京都の芸術系の大学で、若い学生に、気功やリラクゼーションやストレッチやイメージワークなどの内容を教えています。そして、家では、針や指圧や整体なでの手技を使って、身体の調子の悪い人や予防をしたい人に手当をしています。」また、「京都で練気功を大人に教えています。」統合心理学(サイコシンセシス)のワークショップを時々やっています。などなど。

 

そして、いま自分が目標としていることなどを、「概念くずし」で動きとして紹介してください。そして、コメントが行き交う楽しいメールリストになることを願っています。             安寧   岩崎正春

 

追伸、最初ですから、長くなってしまいました。

 

コメントや自己紹介をお願いします。

   

 


 

======ご先祖様========

 

自分の先祖は、いなければ自分が存在していないのですから、いちおう、ルーツを知っていることは、悪くないことだと思います。

 

ただ、日本の先祖供養は、不平等と言おうか、身勝手だと思います。日本の場合は、家の名前ばかりを尊重(固執)して、生命全体に感謝していないように思います。たとえば、戦国の望月一族や私の先祖が活躍?していた500年前といえば、だいたい 26代前です。その時の先祖の数は、何人になるか知っていますか。自分には、二人の親がいます。そして、さらに四人の親がいます。その前は八人いないと、今の自分がなりたたないのです。

 

 

それで、26代前の先祖の数は、

33,554,432人です。

 

 

それだけの人の性の営みがなかったら、

今の自分はあり得ないのです。しかし、

3300万もの位牌がかざってある家もお寺もありませんよね。

 

つづけて、牧田さんの例でもうしわけございませんが、甲賀地方に、500年前に、3300万人もの人が住んでいたのでしょうか。東京の三倍もの人がいたはずありません。いまよりも、人口は、少なかったのです。

 

「消えてしまったご先祖様!!!」

 

36代前、やく700年前には343億人の先祖がいなければ、今の自分は存在できません。

「どこへいったのご先祖様!!!」

 

700年前の日本の人口は、1億人にもなっていないので、のこりの342億人は、どこへ消えたのでしょうか?

 

「宇宙人にさらわれたのでしょうか??」

 

そんなはずないですね。つまり、

血が重なり合っているのですね。

あそこの家とは、先祖代々仲が悪いと言っても先祖が、伊賀や甲賀や、源氏や平家、などといつても、日本人や韓国人中国人、アジア人やヨーロッパ人といっても、

 

実際の血脈は、入り混じり尽くしています。

 

チンパンジーと人間の遺伝子の98%は、同じであると聞いたことがあります。

 

人間の神経を研究するのに、イカの神経を取り出したり、ウミウシを利用しているのは、基本的な神経の仕組みは同じだからです。

 

哺乳動物の脊椎の数は同じです。

 

地球上の命は、つながっているのです。

 

ですから、自分の名字を持った先祖だけ敬うのは、漏れてしまったご先祖様に大変失礼になるのです。

 

そして、命を支えてくれているあらゆる生命に失礼になるのです。

 

 

自分の先祖や自分の意識と潜在意識に限らず、自分のでも他人の智慧でも、善なる意志でもって、巧みに利用して、生きていくことですね。

 

 

障害や困難はあるのは当然。

 


世代数

 

先祖の人口数

25年計算

20年計算

35

171億79869184 人

850

 

680

34

85億89934592

825

660

地球の人口超

33

42億94967296

800

640

32

21億47483648

775

620

31

10億73741824

750

600

30

5億36870912

725

580

29

2億68435456

700

560

28

1億34217728

675

540

27

67108864

650

520

26

33554432

625

500

25

16777216

600

480

日本の人口

24

8388608

575

460

23

4194304

550

440

22

2097152

525

420

21

1048576

500

400

20

524288

475

380

19

262144

450

360

18

131072

425

340

17

65536

400

320

16

32768

375

300

15

16384

350

280

14

8192

325

260

13

4096

300

240

12

2048

275

220

11

1024

250

200

10

512

225

180

9

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1

 

   


2.  あなたに取っての「世界」とは?

2.1.「世界をあらわす地図」と「その現地」 コージブスキーは世界という概念を砕いて(概念くずし)WIGO(What Is Going On.)と捕らえました。つまり、一つの単語=Worldとして捕らえなかったのです。一つの同じ状態の物が、いつも存在しているという視点を取らなかったのです。世界を「何か動きつつある物」として英語の進行形(going on)として捕らえました。その「何か動きつつある物」の全部を、人間は捕らえているのではなく、感覚器官を通じて入ってきた刺激のうちの一部を抽象して「世界だ」と理解しているのです。その抽象の仕方が一人一人違うというのが、彼の視点です。私は、さらに進んで、心の内なるイマジネーションの世界も、「内なるWIGO」であると考えています。そして、「外のWIGO」と「内なるWIGO」とが、織りなす世界に私たちは住んでいると理解します。そして、一人一人の感じ方や、考え方や価値観は、「外のWIGO」と「内なるWIGO」との絶え間ない、働きかけの結果が違います。「外のWIGO」すなわち、森羅万象の現象の一部を、感覚器官がとらえ、その信号が脳に昇ってゆき、その一部を脳が知覚し、意識のレベルにあがり、「そうである」と認識したものです。その認識の仕方は、文化の中で経験を通じて学び取ったその人の見方(これは、言語の種類やもっているボキャブラリーにより異なる)、個性、その時の個人の感情、生理的状態、思考の状態により、左右されます。コージブスキーは、これをStructual Differentialという抽象化される過程のモデルを作って、説明していました。 人間は「外のWIGO」からの信号で生きているのではなく、「内なるWIGO」、すなわち、思考や感情やイメージの創造力が産みだす世界にも同時に生きています。そして、絶えず主体的に「外のWIGO」に働きかけて生きているのです。

 

2.  あなたに取っての「世界」とは?

2.2. 問いかけ

どのような「内なるWIGO」を持って「外のWIGO」を見ているかによって、「わたし」にとっての「全体としての世界」の見え方が決まってきます。あなたの物理的な場所である、仕事をしている所、行ったところは、あなたの世界に属しますよね。そして、「好きなところ」や、「行きたいところ」もあなたの世界でしょうね。では、あなたの世界についてさらに問い直します。返事メールを期待しているのではありませんが、チエックしてみると、自分の世界の輪郭がみえてくるかもしれません。

 

テレビや映画のニュースで知った世界の出来事を、あなたの世界にいれますか。

あなたの読んだ、科学の本で学んだ内容は、あなたの世界にいれますか。

あなたの読んだ、宗教の本の内容は、あなたの世界にいれますか。

あなたの読んだ、小説の内容をあなたの世界にいれますか。

夢で見た事や空想の世界をあなたの世界にいれますか。

遠くにすんでいるお友達の存在を、あなたの世界にいれますか。

死んだ人をあなたの世界にいれますか。

死んだ人の、記憶や思い出を、あなたの世界にいれますか。

あなたが死んだ事を知らないだけで、本当は死んだ人を、あなたの世界からはずしますか。

「あの世」はあなたの「世界」に入っていますか? 

神様をあなたの世界に入れますか。

寝ている時はあなたの世界はどうなっているのでしょうか。

「もの」を食べる時どの世界にいますか。

お茶を飲むときやセックスしている時どの世界にいますか。

 

 

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Drifting Stonefish

Hal Iwasaki

pjc-iwas@aqua.biwako.ne.jp

www.biwako.ne.jp/~pjc-iwas/

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2-2-1  問いかけのコメント

世界について、問いかけをしました。前半は知識だとか、思考や感情を中心にしたといかけでした、

後半はあなたが活動している時の世界をどうとらえているかという質問でした。

 

 

コージブスキーは、世界を「WIGO=What is going on.」つまり、動きゆく現象としてとらえており、

静的なものではないととらえていたのです。

 

ですから、みなさんに対する問いかけも、

みなさんが「○○している時の世界はどうなっているか」という問いかけです。

 

●寝ている時はあなたの世界はどうなっているのでしょうか。

   活動停止しているのは、あなたの意識と筋肉だけです。潜在意識は、むしろ活発に動いている。

 

●「もの」を食べる時どの世界にいますか。

 

食べることは、絶対必要な人間の営みです。あなたの意識はどこを向いていますか。胃袋をいっぱいにするのが目的か、カロリーを取るのが目的か、おいしい味を堪能するのが目的か、もらった人の思いを感じながら食べるのか、季節を感じながら食べるのか、食べるために殺してしまった「生命」に罪悪感を感じるベジタリアンの様に食べるか、さらに、自分の生命をも、食物連鎖の一部(輪廻)を感じながら、感謝しながら「生命=ライフ」を食べるのか、そういう姿勢によって、それぞれちがった世界が展開します。

 

●お茶を飲むときやセックスしている時どの世界にいますか。

 

○たったいっぱいのお茶に、季節を感じ、自然と人と宇宙の一期一会を感じる人もいます。漸に影響をうけた日本の茶道の精神では?

 

○すべての人は、セックスの行為の結果、命を受け継いできたのです。この行為にたいして、どのような世界観をもっているのでしょうか。

 

「セックスは動物的なことでしてはいけないという世界にいる人」

「自分だけの気持ちのよい排泄行為としてとらえる人」

「自分のリラックスの手段としてとらえる人」

「相手の肉体を感じる人」

「相手との感情の交流としてとらえる人」

「全人格的な融合としてとらえる人」

「相手の中に宇宙の生命の偉大さを感じる人」もいる。

 

○ヨーロッパ人はチベットやインドのセックスをしている仏像などを見て、「なんと、破廉恥な宗教か」と驚きました。

○儒教の影響を受けた日本人もよくにた価値観を持っています。

 チベットの仏像を見て、

「個人的な欲望達成という性欲を刺激される人」もいれば、『宇宙とその内に生きている「あらゆる生命の深遠なる行動原理」感じ、その中で、「人身受け難し=人間としての生命を受けるというのは、輪廻の中で、非常にまれな事である」』と喜びを感じて生きている人もいます。

 

●現実に、自分がどのような世界観を持つことにより、その世界の展開の仕方がかわってくるのです。世の中には様々な世界観があり、自分がその一つを持って生きている事は、紛れもない事実です。その世界観に影響されてた基準で、喜びと悲しみを体験して生きています。

●社会や他人に対して、厳しい理想主義の世界観を持っている人や、正義に対するしっかりとした、厳しい基準を持っている人には、かなり、「希望のもてない」「なげかわしく」「けしからん」「許せない」世界が展開していることかもしれません。

 

 

 

分離脳の研究でノーベル賞をもらったR.スペリーは、人間を Human being ではなく、 Human becomingと表現しています。

つまり、何かになろう、何かをおこそうという存在(生き物)です。

また、 subjectively decending (能動的に、世界に働きかけている)存在とみています。

つまり、静的に世界を感じ取るのではなく、 Subjective (静的な観を使った主観的)ではなく、自主的・能動的な動き方をしている存在であるという見方です。

 

「私の体験している世界」とは、変化し続ける「外的世界(WIGO)」に対して、行為をすることを通じて、「内なる世界」との相互作用の結果なのです。固定した一つの、「ホリスティックな生き方」を求めるなんて、実は未来志向ではないのです。

これからの時代は、社会の変化が不確定であり、また、一人一人の「ライフ(いのち・生活・人生)」スタイルがますます多様化してゆきます。

 

あなたが、世界とどのように自主的・能動的に関わって愛をもって(選んで)生きてゆくかについて、すばらしい本が訳されました。

次のファイルで紹介します。

 

Hal

 

   

2-2-3 本の紹介「愛することを選ぶ」

 

生物としての人間は、外界からの刺激に反応して生きているのではないのです。「変化し続ける内なるWIGO世界」から「変化し続ける外的世界(WIGO)」に対して、自主的・能動的に行為をすることを通じて、「私の体験している世界」を作り上げています。「内なる世界」と「外的世界」との関わり方の動的なバランスが問題です。区別がつかなくなるのも問題です。両方に気づいていて、自由に行き来出来る事が大切です。

 少年犯罪などで「声が聞こえた」という事が紹介されています。生物医学の世界では「幻聴」「妄想」などとあたかも病的な事のようにとらえられ、特異な事件が紹介されています。これは、区別がつかなくなった特異なケースの問題です。そういう事を体験している人に「異常」の烙印を押すことになりかねません。内なる声が聞こえてくる現象は、まったく不思議でも何でもないことです。サイコシンセシスでは、そういう内なる声は、十分に認知されており、サブ・パーソナリティーとして捉えており、対話のワーク(心理劇)をしたり、自分の内側への呼びかけのワークとして利用されています。

どのように自主的・能動的に行為をすることを通じて、「私の体験している世界」を作りあげるかと言うわかりやすい次の新訳本がでました。サイコシンセシスのセルフ・ガイド本として、お薦めします。

 

       <<本の紹介>>

誠信書房書房から、「愛することを選ぶ」 E・キャデイ& D.E. ブラッツ著、国谷誠朗・平松園枝著が出版されました。2200円 スコットランドの、spiritualなコミュニティのフィンドホーン財団の創設者ののキャデイとサイコシンセシスの指導者のブラッツが書いた本です。

この本は、サイコシンセシスでの大切にしている「意志のワーク」の視点からのワークショップが本になったものです。「自らの意志」で「世界との関わり方を選ぶ事」、「選択することの難しさや障害」などについて、そして、その乗り越え方などについても、触れています。本(地図)だけをたよりに進むのですから、実際のガイドがいる場合と比べると、現実の現地の旅は楽とは言えないかも知れません。進むことは可能です。簡単なことから始め「自分」にとって、「ライフ(いのち・生活・人生)」全体に必要なホリスティックな選択をすることを考えてみませんか。本では以下の内容があつかわれています。

 

1.許容することを選ぶ

2.安全であると感じることを選ぶ

3.信頼することを選ぶ

4.正直でオープンであることを選ぶ

5.気づくことを選ぶ

6.あるがままを受け入れることを選ぶ

7.自由であることを選ぶ

8.行動する事を選ぶ

9.変化することを選ぶ

10.無条件に愛することを選ぶ

 

どのように行為するかを選ぶことは、その人の現在と未来の「ライフ(いのち・生活・人生)」につよく影響を与えます。いい選択をやり続けてください。

 

   

 


2-3.人間の抽象(世界の取り入れ方)に影響をあたえるフィルター

   2-3-1. 「モデル」を使って考える事の注意。

 人間は、世界をさまざまなモデルとしてみてきました。つまり、学説、宇宙観、などなどです。出来事全体を客観的に=科学的?に観察してゆくうちに、一部の要素に法則性があると見なして、それを元に、世界は、このように動いていると、モデルを作るのです。(要素還元論)

  こういう見方は、過去や現状を分析するのには、有効かもわかりませんが、未来(21世紀)の世界を考えるのには、かならずしも適していません。

 たとえば、今の世界の経済は、今までの経済モデル(経済学説)は通用しなくなっています。では、これからも、そのようなモデルを使って世界について考えることは、意味のないことなのでしょうか。複雑系の研究者は、未来を予測することは不可能であると言っています。しかし、本当にそうでしょうか。正確な予測は、不可能でも、客観的な要素還元論のモデル群を参考にして、人間は主観的な意志を持って「行動を選択する事」ができます。

 H. Vaihingerの "Phylosophy of AS If"が参考になるかも知れません。貨幣の価値は、 AS IF なんです。つまり、金属の金とは違って、タダの紙にインクで印刷してあるものを、たとえば、「金を气Lロ買うだけの値打ちのあるものとしてみなしている」人がいっぱいいるのです。「受け入れられた社会的フィクション(虚構)as if 」です。最近一番、うまく言った例は、ヨーロッパの統一通貨のユーロかも知れません。ユーロは、ヨーロッパの人や国際社会に受け入れられたAS IFです。ところが、南米のある国の通貨のように、自国民にも受け入れられなくなった通貨もあります。

 

●私たちが未来を考えるときに、より人間にとって優しい、未来のモデルがうまれ、より沢山の人から受け入れられ、全体の意志として選択(行動)してゆけば、未来はそのモデルのままでなくても、その方向に動き出すことがあるかもしれないと、私は考えています。

 

つづく、

 

    


  

2-3-2. コージブスキーやボアの考えていた、世界のモデルを紹介します。

コージブスキーは、Structual Differentialという抽象化される過程のモデルで、人間が体験している「外のWIGO」とは、さまざまな減少の一部を感覚器官を通じて、抽象(抽出して像として認識したもの)であると理解していました。

 

抽象過程にのらないもの、すなわち、捕らえられないものとしては、

1.スケールの小さな物で人間の感覚器官に捕らえることの出来ないもの。例えば、電子の動きや、分子や細菌などのスケールの小さな物。 

2.感覚器官の特性からはずれたもの。赤外線、紫外線、放射線、超音波、低周波、等 

3.変化がスローで感覚器官があるいは意識が捕らえられないものがあげられます。身長、体重、の増減、皮膚の再生、などは、人間の抽象過程にのらないのです。

    

2-3-3 ボアの考える人間の抽象の過程に影響を与える6つのフィルター・モデル

一般意味論の指導者であるS.ボアは、コージブスキーのモデルを発展させて、人間の抽象の過程に影響を与える6つのフィルターをモデルとして作りました。その6つとは、1.化学物質。2.感情 3.動き 4.思考・言葉 5.過去 6.未来です。

 

2-3-3-1. 化学物質のフィルター

化学物質がどの様に我々の認識・意識の抽象能力に影響を与えるかを検討してみたいと思います。

この分野でのエキスパート、アメリカの国立生化学研究所の生化学部長であるキャンディス パートは次のように述べていました。「人間は我々が考えている程、自由なものではありません。もっと、決まりきっていて、フレキシビィリティの無いものです。」

   人間の意識の状態には、さまざまな化学物質が影響を与えます。アルコールや麻薬や糖分の濃度や、脳内ホルモンの状況により、意識の状態が左右されます。厳密に言えば、ホルモン系と神経系の二系統がありますが、簡単に言えば、つまり、日睡眠状態・昏睡状態・酩酊状態などによって、外の出来事「外のWIGO」の情報が伝わらないのです。常の経験智としては、お酒をのんでよっている人に大切なことを伝えることをしません。飲酒運転は、外の状況が判断できないのが一つです。

 

2-3-3-2. 感情のフィルター

これも、経験智として、感情的になって泣いたり怒ったりしているときには、冷静な判断ができないのです。時には、人の言うことが全く聞こえていない事も、自分がどこにいるかも、忘れてしまうことがあります。

 

2-3-3-3. 動きのフィルター

静かにしている時と、身体が動いている時を比べると、周りから入ってくる情報はずいぶん違います。その中でも、一番影響が強いのが、頭の動きです。さらに、突き詰めると、眼の動きです。頭が動きすぎると、当然「もの」はよく見えません。うまく、考えをまとめることは出来ません。頭を動かしながら、そして、瞬きをしながら、自分の住所を言ってみてください。なかなかうまく言えません。

 

時々、人間は、考えを否定するときに、頭を横に振ります。縦に振るときよりも、視覚の変動が大きく、まわりの状況が把握しにくくなり、思考が妨げられます。ストレスを受けた子供が、身体をふるわせたり、貧乏揺すりをしたり、などいわゆるチック症状を表します。また、イヤなことを忘れるために、バイクでとばしたりする若者もいます。これは、自分の状況=世界を否定したいという意思表示かもしれません。

 

2-3-3-4. 思考・言葉のフィルター

一つの考え(言葉やコンセプト)に集中しているときは、他の考えは、結果的に入ってきません。簡単にいえば、話をしている時は、聞くことが出来ないのです。だれから話を聞いているときに、別の人が話をし出すと、じゃまになって判らなくなることがあります。話ばかりして人の話を聞かない人がいます。

 先生は、人に話ばかりする人種です。結果的に、もっとも学習能力の低い人種であることがおおいのです。私自身、いま、こうして、このメールリストをガイドしているのですが、みなさんの書き込みの隅々まで、読めているか、自信はありません。いつも、このリストの方向性を考えながら、返事をかいているので、書き込んだ人の事、真意が理解できていないこともあるでしょう。

 

● 言葉や概念が人間の認識や行動や感情を固めるボンドのような働きをする。

 特定の概念を表す言葉が無い場合は、その情報は捕らえられ無い場合がある。日本語の「わび」「さび」はそうかも知れません。あるいは、アイデンティティという言葉は、日本語になりません。日本語の「こころ」に対応する英語はありません。また、英語の「Life」に 対応する日本語は言葉はありません。私は「ライフ(いのち・生活・人生)」として書くことがあります。正確に翻訳されていない場合、うまく、つたわらない場合があります。

もう一つ、簡単な英語の単語で、理解されていない「もの」の一つに、some という言葉があります。これは、none の反対概念です。some という意味は、「特別なもの」です。けっして何でもない適当なものではありません。特別なという意味です。 someone I loveは、だれでも良いのではありません。それから、言葉ではくみ取れないけれども、身体では受け止められる情報もある事を忘れてはいけません。

   

 

2-3-3-5. 過去というフィルター

これは、今までの体験が、今の自分の体験に影響を与えると言うことです。人間は、何かの人・「もの」・コトから、体験をしています。どうも人間という生物の記憶は「ハッピーな体験よりも、つらい・苦しい体験の方が、記憶として残りやすい様です。」けがをした事がありますよね。傷跡をみると、その時の状況は、すぐに思い出すことは出来ます。こどもの時の記憶は、怒られたりしたり・傷ついた時の事は、よく思い出すのですが、すごくハッピーな体験は、積極的に覚えようとしないと、残らないように思います。なるぐらい幸せの絶頂の時(モルヒネのような脳内快感物質の分泌が多いとき)よくストレス状態にある時(アドレナリンの分泌の多いとき)の方が、他人が見えなり、よく記憶されるようですね。(これは、私が、悲観的な認識ばかりする人間なのかしれませんが)

 どちらにしても、人間は過去の体験から影響をうけます。しかし、人間は、過去の体験からだけしか自分の行動を決めることができないのでしょうか。人間には、過去を超えて、自分のあり方を変える能力があります。過去に意識的にそして無意識的に、受け入れ作ってきた自分のアイデンティティ(考え方・感じ方・信念・行動のパターンなどなど)に気がつくことができます。つまり、「過去からの影響」への気づきです。

 

2-3-3-6. 未来というフィルター

次に、未来です。人間に限らず、未来のために行動する動物は数多くあります。どのような未来に対する世界観を持つことによって、現在の生き方が影響されます。過去からの影響について認識ができれば、そこから離れる自由が手に入ります。統合心理学(サイコシンセシス)では脱同一化と呼んでいます。今までの自分の過去の認識の仕方に気がついて、善意ある意志があれば、脱同一化して、未来の生き方を選択する自由がうまれます。「ちがった生き方をする選択」も出来るし、引き続き「同じ生き方をするかという選択」もできます。未来に対する世界観が今の生き方に影響をあたえるという視点から、これまで、みなさんに、さまざまな問いかけをしてきました。

 

 

2-3-4 コージブスキーやボアのモデルも、当然彼ら自身は、そのモデルから影響を受けていたと考えています。そして、おそらく、作って本人達よりも、彼らの教えを受け継いだ人の方が、つよく影響を受ける人が多いのは、世界中の宗教や学問での世界でよく見られることのように思います。というのは、出来てしまった「もの」を受け入れ、それを信じるのは簡単かも知れないけど、生み出した人達は、生み出すときに切り捨てた「もの」や、境界のあいまいなグレーゾーン(トワイライト・ゾーン)の存在を知っています。しかし、この部分が、後継者として引き継ぐ人には、なかなかが伝わらないのです。そういう意味でも、このメールリストでは、一般意味論の紹介よりも、「それのめざしていた事はなにか」を考えて、それぞれが、「ライフ(いのち・生活・人生)」に優しい世界観(モデル)は、何だろうかという問いかけをする、そういうスタンスを重視してゆきたいと思います。

つづく、

   

オスかメスか、それが大問題の国 牛のいない国!!

 2000/05/27

 自分がどのような地図(言葉や思考概念)をもっているかと言うのが、その人の世界観を表しているのですね。ユングが、社会の女性原理と男性原理として、アニマ、アニメという言葉を紹介しましたが、ドイツ語系やフランス語・イタリア語系の人に取っては、しごく当然の話です。原則として、すべての名詞は、男性名詞と女性名詞に分かれています。(ジェンダー)

牛という言葉は、日本語にはありますが、上にあげた国では、通常語にはありません。英語には cow(雌牛), bull(去勢されていない牛), ox(去勢された雄牛), calf(子牛), steer(去勢された食用牛), bullock(去勢された荷車用の雄牛)という言葉はあります。しかし「牛」に該当する一つの言葉はありません。

アメリカで、中西部でそだった人と一緒に車に乗っていたのですが、「ああ、あそこにbullがいる。久しぶりに見た。」と突然話しました。私は、「牛がいっぱいいる」と認知していたので、つまり、オスかメスかは区別して見ていなかったのですが、日本人なら「牛」で済ませてしまっているのに、その人は、性器の部分を確認して、cow, bull, oxなどと、ジェンダーで世界を見ていたのです。ちょっとした驚きでした。

実際に性が区別しやすい動物や鳥や植物には問題がありませんが、識別が困難なばあいは大変ですね。

そして、実際にはジェンダーのない「もの」は、大変ですね。

自動車、船、建物、海、陸、地球、空なども、女性としてみたり男性としてみたりします。そして、言語によって男性名詞になったり女性名詞になったりする。

 

ドイツ語やフランス語を学ぶ人にとっては、名詞のジェンダーを覚えるのは、「うんざり」することのようです。英語は、この部分はずいぶん、薄れています。

 

漢字を学習するアルファベット文化の人には同じく「うんざり」することでしょうね。

 

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3.「地図(言葉)は現地ではない」の続編

3.0.1「地図は現地ではない」ということを以前にふれましたが、「言葉を知ること」は、「その内容を知る事」とは別のことであるという意味でとりあげました。これから、さらに別の切り口での「地図は現地ではない」を取り上げます。

みなさんの体験した事など、紹介してください。

たぶん、ジョークに近い話になるかもしれません。

 

3.1「地図は現地ではない」その2 「同じ地図」でも、ちがった「背景(現地)」!

 

たとえば「教育」という同じ言葉(地図)を使っていても、幼児教育、小学校、高校、大学、医療、福祉においての教育の目的や手法は、同じではありません。このメールリストにいる人達の職業、住環境、言語などは、様々です。つまり、違った現地を持っているのです。いまこのメールリストのタイトルで、「ホリスティックという言葉を使って何をめざしているのか」と問いかけました。ホリスティックという雲の中で迷子になったり、衝突しない為の問いかけです。

 

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3.2.「地図は現地ではない」その3 「実現不可能な地図!」

 

3.2.1.

基本的に地図には、現地のあるのが当然なのですが、現実には、言葉はあるけども、存在不可能か極めて実現不可能な現地があります。「不変」「不滅」「永遠」「平等」です。「ぜったい」「かならず」「いつも」などは、まず、実現不可能なことばです。それらと抽象的な概念が組み合わさると、さらに実現は不可能です。しかし、そういう現地が実現できるような錯覚を与えてしまうのです。

 

使っている本人も、実現不可能な夢を見るのです。そして、大勢の人に感染することがあります。

「永遠の愛」

「戦争や争いのない社会」

「差別のない社会」

「自由平等の社会」

「嘘のない社会」、

「一人の差別も無い社会をめざしてがんばろう。」

 

裁判での「私は、真実を語ることを誓います。」

「 I love you forever.」

 

=

 3.2.「地図は現地ではない」その3「実現不可能な地図!」

 

3.2.2.「絶対に約束を守る」という言葉には、守られないのが普通だから、約束(契約)が必要になる。そして、実現が非常に困難だから「絶対」という言葉をつけるのです。そういう目で見てみると、人間のつくった約束事や法律はジョークに思えてくる。

 

「一人一人の個性にあった教育をする。」「子供には無限の可能性がある。」というのは、引っかかりやすい嘘ですね。むかし、育児では有名なスポック博士という人がいました。日本の育児にもかなり影響をあたえました。なにもしなくても、子供は、自由に良い方の(親にとって、社会にとって都合の良い?)才能のをのばしていけるというスタンスでした。

 

「出来ないことを出来る事のように言うこと」は、まわりも、そして、自分も傷つけることになります。

 

3.2.3.「いつも」「まったく」「かならず」

 

「あの人は、いつも意地悪だ。」「あの人はいつもネクラだ」「わたしには、才能がまったくない」「また、かならず、失敗するさ」など、自分や他人にたいする絶対的な形容で、決めつけ・価値判断(ジャッジメント)は、相手も自分も傷つけることになります。

「いつも」とは、宇宙が始まってから終わるまででしょうか、その人が生まれてから死ぬまでの時間全部でしょうか。寝ていても起きていてもでしょうか。「かならず」とは、100%という意味ですよね。

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「いつも」ではなく、そういう事があった時と状況を明確かしたらいいのです。

ただ言えることは、「人間の関心とは、自分の都合の良いときにしか向きません。」

 

人によっては、たった二度でも、「いつも」と言う人がいる。

具体的に「いつ」「どこで」「どれぐらい」「どのように」という

状況を素直に表現することですね。

 

岩崎正春

 

3.3.「地図は現地ではない」その4「人間は、地図に反応する動物!」

 

3.3.1.

人間は嘘をつく動物です。もうすこし、柔らかく言い換えると、自分の言葉(地図)に従った行動(現地)の実現をやめたり変更する能力を持つのです。意識的に、、、。

 

3.3.1.1.

明確や意志や意図をもって、誤った言葉を使うことがあります。

嘘をいって相手にダメージを負わせるのは、人類の歴史において、有効な手段として使われ続けています。戦争や企業の競争などなど、これが、「嘘を言ってはいけません。」「真実のみを語ることを誓います」となるのです。

 

3.3.1.2.

隠す意志や意図をもって、わざとはっきりしない地図(言葉)を使う場合がある。

「今後の対策を検討します。」「協議します。」「善処するようにどりょくします。」「調査します。」

 

3.3.1.3.

隠したりする悪意はなくても、実現する能力のない人がいます。

破産寸前か破産してしまっている国や人に、「お金を返してくれ」と言って、「はい、必ずかえします。」という地図(言葉)が返ってきても、実現は極めて難しいですね。

 

3.3.1.4.実体のない概念や組織をつくる。

お役人などは「○○振興構想」「○○マスタープラン」という構想を打ち上げて「○○協議会」「○○育成会」という実質活動のない組織をつくりあげて、あたかも精力的に活動してもらっている様に、答弁する。

 

 

3.3.1.5.名前貸し(地図)をして、その現地があるように宣伝する。

○有名人を顧問や長にして、権威付けをねらっているその組織は数えられないほどありますね。

○マスコミでの商品の宣伝をするのにこの手法は、世界中で、広く使われています。タイガーウッズがいつも日本の缶入りコーヒーを飲んでいるわけない。でも、なんとなく、そんな気になる。そして、いいコマーシャルをつくるとそれが、商品の売り上げに貢献する。「人間は、地図に反応する動物です。」とくに、世間の眼をきにする日本人は、「自分の目で調べた実体よりも、マスコミの報道の方を信じる事が多いようです。」こういう事をメディア・エコロジーとして、調べようという動きがありましたが、、、いまは、メディア・サーフィンとして、乗っかることばかり考えているようです。

3.4.「地図は現地ではない」その4 複雑な問題の原因を一つのにすり替える。

 

3.4.1.  原因をさがすこと、

 

「すべては教育がわるい。」「すべては、政治が悪い。」「すべて家庭が悪い」「親がわるい」「あなたの病気の原因は○○です」このような判断(ジャッジメント)は、よく聞きます。本当に、一つのものが、原因なのでしょうか。そして、解決法につながるのでしょうか。

 

 

3.4.1.1. 要素還元論

実験室のような極めて単純化された環境においてのみ、原因と結果の関係を明らかにする事ができます。ところが、すこし複雑になってくると、たとえば、おいしいサツマイモをを蒸すというような一見すると簡単な事でも、サツマイモの種類、塩の量、温度など、非常に原因は、難しくなります。お芋やさんの企業秘密です。

非常に複雑な、現実の人間や社会現象を全部を観察することは出来ません。その中の一部(要素)に注目して、観察し、仮説をたてて、実験をして、統計処理して、「全体がこういう仕組みである」という説を唱えるのです。これを要素還元論といいます。実験をしたり、研究をしている当事者は、けっこう「この困難さ」と要素還元論の危険性を知っていることが多いのですが、競争社会にいる研究者は、生き残りの手段として、かなり過激に自分の学説を、誇張して発表します。そして、実験をする事の困難さを知らない、誰かの情報や本から、本を作る人や、人に教える人達、ただ新しい情報を求めている人、流行っている事に興味をもつ野次馬根性の旺盛な人達と、それに同調している売るためのマスコミや評論家とされる人達には、科学的な手法にたいする問いかけをすることよりも、いかに、売れる事を書くことの方に興味があるようです。

 

 

●ここに、書いていることは、要素還元論の否定ではありません。要素還元論的な手法の難しさについて書いています。「要素還元論の否定」が、流行してしまうのも問題です。「ホリスティック」は、反要素還元論ではありません。また、原因がはっきりとしていなくても、解決法はみつかる事も往々にしてあります。

 

 

3.4.1.2.  「原因を探求する為のデイスカッション」と「相手をいいなりにさせる為の話」の区別

 

●日本の学生は、知的探求の手段としてのディスカッションのトレーニングをほとんど受けていないので、自分の意見と相手の意見をディスカス(戦わせ)る事によって、全体としての知識を深めるという事が極めて困難なようです。ついつい、自分の意見に感情移入して、感情的な喧嘩になってしまっています。そして、自分の説を守ることに固執してしまいます。もっと気をつけなければいけない事は、「特定の目的」のために、相手の意志を変えることが目的に、話やそのための環境が設定されることがあります。いうなれば、仕組まれた罠です。

 

3.4.1.3.  単純化とこじつけ

政治家達は「相手の政治がわるい」「教育が悪い」「親が悪い」といいい、教育界の人は「政治が悪い」「親がわるい」「文部省がわるい」などなど、それぞれ指摘している内容は、一つの視点であると思いまが、単純化しすぎてしまっているようです。

●久しぶりに、衆議院が解散になり選挙になります。政治的目的のある人達(政治家だけではない、政治家的な動き方をする人という意味で、教育界にも、産業界にも大勢いる)は、原因を一つにすり替えることをします。注意してみてくださいね。

 

3.4.1.4. 単純化する事は、人間の思考の特性?

 

一般意味論では、こういった単純化して考えるという傾向は、「言葉をつかって生きている人間の特性」であると考えます。個人レベルでも、他人や自分のことを単純化して考えるようにあります。宗教・医学・心理学に於いても、また、そういうものやマスコミに影響されている私たちが、日常的にしていることです。たとえば、人間の性格を単純化していくつかのパターンに分けて考える性格分類心理学や、最近はやっている動物占いなどもみられます。そういう分類をして考える事は、役に立つ世界の理解の仕方ですが、実在する一人の個人に当てはめる時には、かなり慎重にならなければなりません。

 

3.4.1.5. 「すぐに反省する人達」

日本人の受けていた教育の影響かも知れませんが、どうも、日本文化では、日本人はすぐに謝ってしまい、反省をしてしまいます。悪いことをしていないのに、「すみません」「反省しています」と言います。つまり、学説、物事の仕組み、事実、ルール、理屈など、知的な思考判断で、物事を決めるのではなく、利害や力の強い人の言動に応じて、いとも簡単に、こちらの態度を変えてしまいます。日本の国の外交は、む高圧的に主張すれば、かならず引いてしまうので、もっとも交渉のしやすい国なのでないでしょうか。

●自分の間違いを認めるという潔さは、日本人と、アメリカ人の一部にしか見られないことかも知れません。国際政治では、自分のことを棚に上げていない国は、まず無いのですが、、、。

 

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3.5.「地図は現地ではない」その6.日本では今でも人間の首を切っている? 

 Fire!

 

日本では、第二次世界大戦が終わるまで、実際に人間の首を切り落としていたという残念な歴史があります。その影響かどうか知りませんが、仕事を解雇されることをいまだに「首切り」「くびになる」という表現をします。去年、日本人は一人も首を切り落とされてはいませんが、数多くの人は、仕事を失っています。つまり、例えとして、つまり、メタファーとして「首になる」と平気でいっているメンタリティーなのです。私は、「人権に対する差別語」として使って欲しくないのですが、、。つまり、今の「首切り」は、「人間の頭をどうから切り離す」という現地ではなく、「雇っている人を解雇する」という現地です。日本人ならだれもが判っているのですが、、、。英語では、 「Fire すなわち、焼き殺してしまう」のですね。魔女狩りの伝統を引き継いでいる。これは、聞いた話ですが、日本の骨董屋さんにある饅頭(むまんじゅう)の箱(漆塗りのきれいな器)を見て、どうも少しだけ漢字が読める人がいたらしく、饅頭の頭だけが読めたらしく、これは「頭 英語では head」をいれるのだと解釈して、戦国時代には、敵の戦国武将の頭をいれる器に使っていたと驚愕したそうです。今の日本の家庭の下駄箱に下駄が入っていないと思うのですが、いまだに下駄箱なんです

 

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このメーリングリストのおおよその流れは、

私のホームページに、まとめてあります。

また、足立正治さんの「一般意味論のホームページ」にも、保存されています。

http://www.kh.rim.or.jp/~masa-sem

 

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3.6.「地図は現地ではない」その7 「現地がどうでもいい地図」

 

3.6.1.非常によく使っている言葉で、いまは、本来の意味(地図)を持たない言葉がどの国の言葉にもあります。

 

○「おはよう」は、いつまで使って良いのでしょうか。

 

●日本の芸能界は、「嘘とフィクションの世界である事の証明「をみんなで確認するために、

この世界にはいった瞬間から、昼でも夜でも、「おはようございます」と嘘をついているのでしょうか。

 

(*_*)

○英語でも、たとえば、雨の日の朝、医者が患者に Good morning! How are you? と聞き、患者は I am fine. と自動的に、答えてからと答えてから、何処が悪いのと聞きます。 (^_^)

 

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3.7.「地図は現地ではない」その8 「本当は質問ではなく、また、噂でもない、メッセージ」

 

「そんなことしていいの?」「いま、何時だと思っているの」「なんにもございませんが、お茶漬け(ぶぶづけ)でもめしあがりませんか?」「そうどすか?」というような言葉は、文の形は疑問文です。でも、つよい主張を感じます。

 

「あんたの評判良くないらしいよ?」という言い方は、だれかから聞いたことではなく、かなり強いメッセージが発せられていることがあります。つまり、言葉ではなく、状況から、判断することをお忘れなく。

「やれやれ」(*_*)``

 

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3.8.「地図は現地ではない」その9 外交辞令

 

○閉鎖型の社会では、トラブルを解決するために、つまり、公然の秘密となっている問題をなるべくオープンにしないという知恵?が育っています。日本やヨーロッパの小国には、見られます。一度問題が公然となってしまったら、解決不能になる事がおおく、当事者や周りに及ぼす影響が大きいときに、このように、直接的に表現しないという文化的態度があります。

 

○日本語で、「お出かけですか?」「はい、ちょっと」「これ欲しいですか?」

答え方として、「どうも、どうも」つまり、内容のない答えをします。

 

英語で、「お出かけですか?」と挨拶のつもりで「Where are you going?」聞いても、「なんでおまえにそんなこと聞かれないといけないのか。何処に行くかは、私の自由でしょう」と受け取られかねません。

 

○外交官の挨拶は、お礼と感謝と敬意を表す事と、相手に対する同意に、スピーチの時間のほとんどを使います。そして、問題点や自分たちの主張することを、戦略的に、少しだけ言うこともあるし、言わないこともある。

 

○たとえば、イタリアなどでは、女性をみたら、「きれいだ」と誘ったりすることが、外交辞令らしいです。

「きれいだ」と言わずに通り過ぎるのは「しつれいな」人間と見なされるのでしょうか。

 

「やれやれ」(*_*)``

 

そういう習慣のない日本人の女性は、言葉どおりにとらえて喜んでしまう。  

 

「やれやれ」(*_*)``

 

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3.9.「地図は現地ではない」その10  交渉の為の駆け引き

 

○外交に於いても、たいていは、言葉での交渉によるのです。それで、相手方の言葉を聞き真意を探り合いながら、勧めるわけです。そのうちに、相手の言葉と真意の使い方が判ってくるのです。

 

●アメリカと旧ソ連は、敵対する当事国として長い間交渉してきました。幾たびかの危機を回避するうちに、そのうちに、相手の出方の法則性がお互いに理解できてくるのです。いまは、信頼できる対抗勢力同士なのでしょうか。

○これは、個人レベルにも言えることでしょうね。人によっても同じ言葉での駆け引きがが違うのです。

 

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 3.10.「地図は現地ではない」その11 本当に自分の地図?

 

3.10.1.

世の中には、体験のなかで自分の感じた事を言葉にするのではなく、教え込まれたり、だれかに作ってもらった言葉をあたかも自分の言葉のように話す人達がいます。宇宙飛行士の毛利さんの記事を読んで思ったことですが、その典型は、NASAの宇宙飛行士かもしれません。かれらの潜在能力は、地球上の人類でもっとも優れたエリート達ではあるのですが、私にとっては、きわめて、「変な人達」に感じます。宇宙飛行士が、講演に呼ばれて、話をするのですが、かなり感動的な話をするのです。でも、そのスピーチには、プロのゴーストライターがいて、どのような人を相手に話をするかを事前にしらべ、そして、原稿が用意されるそうです。そして、講演の後は、ライター達のそれにたいするコメントがあって、「このように話したらもっと良いだろうから、つぎには」、などと極めて適切なアドバイスがあるそうです。知的レベルの高い宇宙飛行士達は、その内容を完全に理解して自分の言葉として話をしているのでしょうが、感動的な金太郎飴(最近の人は知らないので、ラバースタンプ(名前や住所や電話番号のゴム印)の方がわかりやすいかな。どれも同じような「感動」という「違和感」を感じざるを得ません。政治家や大臣なども、専門のライターが「いる」時代です。このように、だれかが準備したことは、本当のその人の言葉と言えるでしょうか。

 

3.10.2.

すばらしい感動を体験をしたときは、本当は言葉は、出てこないのが普通です。おいしいものを食べても、すばらしい音楽を聴いても、うれして体験で感動しても、「言葉のでてこない一瞬の沈黙」があります。「今」体験したことを言葉にしようと、まとめ、探しているのです。ですから、雄弁よりも、むしろ、うめきに近い声の方が、「ほんもの」の声であると思うのです。ですから、あまりにも、雄弁に話がでてくると、これは、演技しているのではと感じることがあります。セラピーでも良くあることですが、「いかに自分が不幸であったか、虐げられてきたか、傷ついてきたか、、」などなど感動的に話をする人がいます。そして、セラピストも一緒にいた人も、いい体験をするのです。でも、次の「幸せの体験」に踏み出そうとしないで、つぎからつぎへと、セラピーグループの地方巡業して、感動的な悲劇のヒロインの名演をつづける人もいるのです。そうする事も、職業の自由があるのと同じで、「自分の精神状態を自分で保つ自由」もあるので、「一つの立派な生き方」です。ハッピーな演劇だけでなく、悲劇だって人間には必要です。黒丸先生の言うように、「人間には病気を治す力をもつ」どうじに、「病気になる力ももつのですね」

 

●本当に、「ライフ(いのち・生活・人生)」を感じつづけることは、そんなに雄弁になれないと、私は思っています。

 

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3.11.「地図は現地ではない」その11の続き 元ソ連のスパイ?の話

 

3.11.1.

これは、アメリカで体験したことです。アメリカのクエーカー教徒の経営していた大学で、いまはSonoma 州立大学に吸収されたフレンド・ウエストという大学を訪れたときの体験です。ベルリンの壁が崩れてまもなくの頃で、ソ連はボロボロの頃です。そこにソ連人のジャーナリストが、客員教員としていました。彼は訛のない完璧な英語を話していました。そして、ソ連の政治・経済・文化についてどんな質問に対しても、間髪をおかずに、完璧によどみなく答えるではありませんか。その大学のアドバイザーをしていた私の友人と、「あのソ連人は、KGBの元スパイに違いない」とかつてに決めつけていました。なぜなら、自分の文化について、あらゆる部門で、すぐに答えられるというのは、異常なことなのです。私も日本の文化で、全く知らない事はいっぱいあります。専門外や興味のない事の質問には「知らない」と答えるのが普通なのです。あまりにも、完全にうまく答えすぎていたのと、「ソ連の大学生はどんな風に感じているのでしょうか」と聞くと、どうも普通のところで(大学)で教育を受けていないらしく、ソ連の大学生の体験談が返ってこない。それで、「あいつは、絶対元KGBだ」と決めつけていました。一般意味論では、「ぜったい」とか「きめつけ」は、ふさわしくないのですが、友人との会話を楽しむためには、過激のほうが面白い!

3.11.2.事実を知り、まとめ、うまく伝えるのには、一般意味論は、役に立つとおもいます。でも、アートやイマジネーションのむ世界では、自由にデフォルメ(元の形を単純化したり、一部を拡大したり、アンバランス)にする方が意図がつたわるというのも、私たちの意識の不思議です。少女漫画の世界では、眼の大きさが手のこぶしより大きいし、足の長さは、キリン並みです。偽物の方が本物よりも本物らしい。

 

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3.12.「地図は現地ではない」その12 偽物の方が本物らしい

3.12.1.

これは、人間だけではなく、魚などの動物でも見られることです。つまり、生物の抽象の宿命かもしれません。魚釣りに使うルアーは本物の魚よりもデイテール(部分)が強調されています。鳥は自分の卵よりも、特徴を大きくした作り物の卵の方に引きつけられます。人間のファッションや化粧も、何もしないよりは、きれいに見えてしまう。物語もドラマの演技も、本物よりも真実味がある。地図だって、描かれている道路の太さは、本物よりも、何十万倍も太いから、判る。航空写真では、小さすぎてわからない。薬にしても、ニンニクの成分の化学構造を単純化したアリナミンの方が、良く効いてしまう。さまざまなバリエーションのある自然の薬よりも、マスターキーのように、どの部屋のドアを開けてしまう様に、聞いてしまう。私たち人間も、本物よりも偽物に引かれてしまう傾向にあるのですね。

3.12.2.この仕組みからは、逃げることは出来ないので、「危なくないように巧みに生きることですね。」そして、時には逆転の発想で、この人間の知覚の仕組みをアートとして、Play (エンジョイ)すればよいのです。

"Life is play." 「人生は演劇だ」と訳す人もいます。ちょっとカッコづけかもしれません。 Play は、確かに、演劇と訳すこともあります。でも、基本の意味は、「遊び」なのです。日本語では、「演劇は、子供の遊びではない。」という権威人がいますが、「Play も Play も Play」なのです。ムクタナンダというグルは、この世は、「 Play of Conciousness」と見なしています。みなさんの、人生は、どんなplay なのでしょうか?喜劇?悲劇?喜悲劇?遊び? 「あそび」という言葉を使うと、怒る人が、「遊戯(ゆげ)」という禅の言葉を使うと、わかったように、黙ってしまう。「(禅坊主に)あそばれているのに!」(^O^)(^O^)

 

●人間は、そういう言葉を使う動物です。そして、世界には、悪意のある人や組織は、まぎれもなく存在します。まず、言葉でだまされないで、本質を見抜いて、まず、自分をまもりましょう。そして、巧みに生きよう。そして、Play の精神で生きませんか。

では、

「地図は現地でない」というさまざまな状況をあげてきました。コメントやレスのしにくい内容でした。こういう事は、ワークショップとしてやると、そういう場が、けっこう楽しくて感動的なこともあるのですが、言葉だけのせつめいですから、、「まあ、まあ」でしょうか。

 

 

ちょつと、みなさんの物差しを教えてください。

みなさんの、「まあ、まあ」は、確率的には、どれぐらいの事をさして使いますか。

 

 

英語で、 so! so!とは、ずいぶん、 probabilty が違うようです。

 

では、

 

 

4.0 一般意味論 ネズミ年の反省

 

 =============迷路の中のネズミと人間=============

 

 B.F.SKINNERのもとに、ねずみと迷路の研究をしている学生のグループがいまし

た。ある日、ある人が「ねずみと人間の本当のちがいはなんだろう。」と問いか

けたのです。それで行動科学者達は、実験してみる必要があると決めました。彼

らは、人間のサイズに拡大した巨大迷路を作りました。彼らは、人間と比較する

ためのコントロールグループとして、1グループのねずみを用意し迷路の中でチ

ーズを捜し出すように訓練した。それから、複数の人間を巨大な迷路に連れてき

て、5ドル札を捜すようにした。結果は、人間とねずみとの間に特別な違いを見

つける事は出来なかった。データーの中にわずかなバリエーションが見受けられ

た。95パーセントの概然性で、人間の方が少しだけ早く迷路をくぐり抜けることが

出来たのである。

 本当に面白い統計が出たのはその後である。彼らは、迷路の中から5ドルとチ

ーズをとっぱらってしまつたのである。ねずみは、何回かやっている内に迷路を

走り回ることを止めてしまった。しかし、人間の方は、けっして止めようとはし

なかったのです。ずーっと、捜し続けようとしました。・・・・・

そして、その夜研究所に泥棒が入ったのでした。

 

FROM "FROGS INTO PRINCES" Neuro Linguistic Programming

by R.Bandler & J.Grinder

Chap.I  Sensory Experience より 孫引きでした.

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 みなさん、しばらく書き込みが出来ませんでした。ごめんなさい、

なんとか、再開します。理由は、上のケースの学生のような状態でした。

 

●13年程前に、マイクロソフトの MS.DOSに決別して以来のマッキントッシュを使っていたのですが、三年前、簡易脳波計をつなぐために、ウインドウズのラップトップをてにいれました。すくに、98にアップグレードして以来、ファイルが見つかりませんというメッセージを三年間、イライラしながら無視してきたのですが、いっそ、ウインドウズ85 にもどそうと、マニュアルの通りに、ハードディスクを初期化しました。そしたら、純正以外の CD-ROMを使っていたので、 CD が組み込めなくなってしまいました。

●ウインドウズは、 MS.DOSというプログラムをまず走らせて、その上で、ウインドウズというOSを、組み込むようになっています。つまり、最初に、簡単にプレハブ住宅を建てて置いて、その建物の上に、覆い被さるように、何百倍もの大きさの巨大なOS.をかぶせているのです。

●私のCD ROMのドライバーは、ウインドウズというOSがないと、入れられないのです。つまり、 MS.DOSのプログラムが、理解できて、コマンドプログラムが書けないと、どうしょうもないのです。11年前に、捨ててしまった本には書いてあるけども、いまさら、そんな本をてにいれても何ともならない。止めどもなく、コンピュータを前に、時間は過ぎてゆき、成果はあがらない。

 

   4-1.私の中の「怒れるサブ・パーソナリティー」

 

●マッキントッシュだと、「Cというキーを押したまま、スタートさせれば、10分もあれば、出来る事が、二週間かかっても出来ない」という、怒りと、疲れで、ちょっと集中力を無くしていました。今はマッキントッシュがメインマシンなので、無視していけば済むことなのですが、私の内では、「それを許してくれないサブ・パーソナリティー」がいました。往年のハム少年であり、いまの、セラピーの仕事にも繋がっている性格なんですが、なかなか、無視することを許してくれないのです。今までにも、「なにかが壊れていたり、誰かが持ち出したりして道具類が、見つからないと、例え、家中がひっくり返っても、寝ないでも、一応の解決ができるまで、あるいは、解決の目安がつくまで、寝ないでやりつづけるという悪い癖」が出てしまいました。5ドルのために、夜、泥棒しに研究室に忍び込んだ学生の様な私でした。学生の場合、捕まれば、警察沙汰になり、裁判など、もっともっとやっかいなことになることがわかっていても、怒り?の為に「しない方が良いこと」をやってしまったのですね。スキナーさんの責任ですね。

●私の場合は、ビル・ゲイツさんですか?最初のMS.DOS3.0ぐらいまでは、良かったし、プログラムは、いいものを作っているのですが、OSとしての、ウインドウズは、未だに最悪ですね。原子力発電所と同じで、人間の手には負えない。世界一の企業であるマイクロソフトが、「宣伝文句とは裏腹に」使い勝手に、15年前のマッキントッシュ・プラスの、使いやすさに未だに追いつけていないのに、ただあきれるばかりです。ウインドウズ3.0(5.0かも)の時に、ビルゲイツが、ニユース・ステーションにでて、「コンピュータがだれにも使えるようになつた」と発言していた。ウインドウズ95が出たときも同じ文言、でも、知り合いのコンピュータ屋さんは、それを組み込むのに二週間かかっていた。そして今年は、ウインドウズ2000の開発に失敗し、「これは、専門家向けです」と釈明し、ウインドウズ・ミレニアムが、次の一般向けユーザーのOSです、といううたい文句ですね。一般ユーザーには、「プログラムを自動的に修復する機能がついている」といううたい文句ですね。ここで、一般意味論の視点で分析すると、つまり、「いままでのウインドウズは、あなた達には、直せませんよ」という事を認めた釈明です。

 

 4-2. 一般意味論のもう一つのポリシー( Delayed Reaction )

      すぐに反応しないで、時間をかけて、吟味すること

 

●ながい、時間をかけて、世の中の流れを見てみると(政治家、宗教家、評論家、コマーシャルなどなどの発言)、その時その時に、ながれに乗って都合の良いことばかり言っている。テレビや新聞や本などのメデイアなども、基本的には、コマーシャリズムに乗っている。しっかりと、メディアから流れてくる宣伝文句をしっかりと、記憶し「自分で考えることをする」というのが、一般意味論の生まれた、意図であり、一人一人の感性と考えと「ライフ(いのち・生活・人生)」を大切にするというのが、ホリスティックな生き方ですよね。

 

一人一人が違った「ライフ(いのち・生活・人生)」ですから、

Think Different!

              は、当たり前のことですね。

4-3 No More Rat Race! 

ネズミのように、群衆として一斉に走り出して、集団自殺してしまうのはやめましょうね。

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          5.0 言葉のもつ宿命 I

人間の言葉を使う能力は、さまざまな恩恵をもたらしてきた。しかし、同時に、それのもつ宿命的欠陥について知っておいた方が、他人とのトラブルを回避したり、自分を追いつめたりする事をさける事になる。

 

5-1. 人間の言葉による思考は、意識のごく一部にすぎない

 

  5-1-1 アートは言葉で表現できない。 

●人間の言葉(概念)による思考は、人間の意識のごく、一部にしか過ぎないということです。ノン・バーバル(言葉で表現できない)な部分が大きく影響を与えています。たいていのアートは、言葉で説明をしようという努力が積み重ねられ、さまざまな芸術にたいする論が積み重ねられてきた。しかし、それらは、言い尽くされたというよりも、言い尽くせないという事実に立ちすくんでいるのではないだろうか。

 

5-1-2  言葉で表せない記憶

●人間の記憶には、内容的に1.記述的記憶(言葉で表現できる記憶)の他に、2.スキルとしての記憶(操作的記憶)が存在する。記述的記憶は、言葉で表現できるが、スキルは言葉では表現できない。つまり、自分がどれだけ技術があるかどうかを言葉では表現できないのです。「段位制や級位」「コンテストで入賞」など過去のイベントでの成果(エピソード)を述べるか、実際にデモするしかない。

5-1-3 別なことを同時に考える

●スペリーやガザニガの分離脳の研究や最近の PET スキャンの研究から、人間は同時に「二つの別こと」を考え、別の評価が出来る事が報告されている。

●普通片側にしかない言語中枢が、両方にある人(4例)がいて、その人が片側の言語中枢に腫瘍が出来て、片側を取り去ることになった。術後、その人の言語能力は、落ちることはなかった、むしろ、四人とも吃音(ドモリ)がなおったのです。つまり、この人達は、いつも、二つのことを考えていて、左右の脳が一つの口を取り合いしていたと推測される。

 

5-1-4 「口からでまかせ」の方があたりまえ?

矛盾したことを口にする事、「口からでまかせ」の方が、脳の構造機能的に普通なのかも知れない。ただ、こういう人の場合は、状況に依っては、社会的には、「あの人の本心が分からない」「信頼性がない」と受け入れられない事になる。そのために、人間は、社会生活を送るために、教育やしつけをする「しくみ」を作ってきた。個人の立場から言うと、「口からでまかせ」の結果、仲間はずれにされる事をおそれ、みずからの発言を自己規制して隠し通すか、「信念の教育?」をして自他共に認める道徳的人間になるしかない。

5-1-4  それで、しあわせ?

●確かに、「確固とした信念をもつ人間」は、目的を達すると思います。しかし、その結果として、本当の自由で幸せになれるのであろうか?言い換えると、「意志統一した道徳人間」や「生産志向の国の目的達成志向の人達」は、ホリスティックな意味で幸せと言えるだろうか。このあたりが統合心理学(サイコシンセシス)で問題提起している部分だと思います。

 

アレキサンダー大王が、東方の賢者に出会った。

 

●「あなたは、ずいぶん疲れた顔をしているが、何をしに東の国に軍隊をすすめるのか」

○「世界を征服するためです。」

●「世界を征服した後、何をするつもりか」

○「ゆっくりと休みます」

●「ゆっくりと休むことなら、世界を征服しないでも、今すぐに出来る。どうして、そうしないのか?」

 

アレキサンダー大王は、言うことを聞かずに、東方遠征をつづけました。しかし、彼の配下達は、植民地であった国の仏教にふれて、金髪碧眼の仏教徒が生まれました。その結果、仏像が生まれ、阿弥陀(Amitha)信仰(西方浄土)がうまれました。仏典の中には、植民地の王と仏教の指導者との対話が教典となって残っています。

 

 

5-2. 言葉の宿命 II

 

5-2-1. 一つのを選ぶことは、他を捨てること

言葉だけで思考をするとすれば、一つの言葉(概念)を選ぶことは、結果的・自動的に他を捨てることになってしまいます。

5-2-1-1. 世界最高の宗教

●「仏教が最高の宗教である。」という発言があったとします。一生懸命に、信仰している人の素直な心情です。「それのどこが悪い?」のでしょうか。仏教ではない人は、どんな気持ちでこの発言を聞いているのでしょうか。言葉の世界だけで論理的に考えると、この発言には、暗黙のうちに、「仏教以外の宗教は、最高ではない」という隠れた意味が生まれてしまいます。それで、宗教が政治や文化と一体になっている文化では、「いや、イスラム教が世界でもっともすぐれた宗教である。アラーの教え以外は邪教である。」などと宗教戦争の原因になります。事実、「邪教」という価値判断が宗教戦争になっていました。

カトリックでは、この点、歴史的な一つの画期的な出来事がありました。ローマ法王が、イスラム教徒やユダヤ教徒に、そして、カトリックの国の植民地で、土着の宗教に対した迫害や暴力、十字軍で迷惑をかけた国の人達に、謝罪したのです。世紀末、2000年の宗教界でおこった最も価値ある出来事だったと思います。

日本も、戦争に負けてから、いっぱい謝罪をしつづけていました。それにも関わらず、相手の国民の迷惑を受けた人からは、許してもらえない。一度不信感が生まれると、なかなか変えることは出来ないのですね。

 

5-2-2.「うちのお父ちゃん世界一意識」

●私は、「うちのお父ちゃん世界一意識」と呼んでいます。幼い子にとっては「父親」や「母親」は、いのちを支えてくれる世界一大切な人で、そう考えることは、当然のことです。ところが、成長してゆくうちに、最高であると信じていた事が揺らぐのです。他の子供も同じように考えている事に気がつきだします。「うちのお父ちゃんが、世界で一番偉いんだ。」と自慢すると、同意されないのです。そして、さまざまな理由付けと比較を始めます。「お金持ちだから、」「背が高いから、」「ギターが弾けるから、」 「社長だから」「どこどこ大学出身だから」では、で、普通の子供にとって、上には上があるのに気がつきます。「なんだうち父親って大したこと無い」という事に気がつき夢やぶれるのです。この時に、「みんなたいしたこと無い」と過小評価してしまう。あるいは、だれかと比較して「うちもあんなだったらいいのに」と羨む、そして、「逆に嫌いになってしまう」という幼い心理のパターンがあります。

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5-3 「最高でないとつまらない。」と思いませんか

毎日の世界の中で、「世界一でない体験」「どこにもだれにもある、安っぽい体験」ばかりなんてつまらないと思いませんか?

西洋の思想の流れとしてアリストテレス的な考えの流れでは、人間の意識を離れて、「世界で一番すぐれた人」「最高」「真理」「善」「正しいこと」「絶対」が存在すると考えられていました。しかし、「人間が世界であると体験している世界」は、「外の世界(WIGO)と内なる世界(WIGO)の合成された所に住んでいると書きました。つまり、世界中の人間がだれしも認める「絶対的に客観的な体験」というのは、人間には無理なのです。でも、内なる世界では、「最高に気持ちの良い・すばらしい体験」であると感じる自由はあります。

 

 

5-4. 世界観の転換(絶対評価から相対評価へ)

「キリスト教が世界でもっともすばらしい宗教だ」「ユダヤ人が世界一すぐれた人間である。」「中国は世界の中心である=中華」「北朝鮮は地上天国である」「共産党は人民のために革命をおこなった」「アメリカは自由を世界中にもたらす、平和の為の世界の警察官である」「○○が世界一の美人だ」という発言は、暗黙のうちに、他は「すばらしくない」「美人ではない」という絶対的な評価・判断(judgement)になってしまいます。こういう「言葉の欠陥にとらわれた世界観」から、ゆたかな「相対的な世界観」に移ることはすごく簡単なことです。

 

 

5-5. 「同じ人生だ、おもいっきり最高の良い思いをしよう!」

こう書くと、廃退的だと絶対主義者や道徳家に言われるかも知れません。しかし、これは、個人のレベルでの体験のはなしです。

 

 

5-5-1. 体験にタグ(名札)をつけよう=「私にとっては」という名札

「私にとっては」という言葉をつけることで、一人一人の多様性を認めることになると思いませんか。「私の考えでは、」「私の気持ちでは」「私の直感では」とか、「私の経験からすると」「データーからすると」などなど、発言者の意識の状態を示したうえで、「最高」の体験だと、判断し表現すればいいのです。

 

 

5-5-2. 製造年月日の名札入れること

それから、「いつも」「いつまでも」一つの状態が続くことはありません。「時間を表す言葉」をつけましょう。つまり、時間というタグ(標識)を入れることです。製造年月日を入れることですね。

[私にとって」「今日」のあなたは最高にすばらしい。」でも、「昨日の発言はそうではなかった。」などなど

 

5-5-2-1

アメリカの映画監督は、映画を撮りなおしする時に「否定的な発言をしないで」、手をたたき、「ブラボー、最高!最高!すごく良かったよ」「さすがだ、君だから、こんな演技が出来た」「君がこの映画に出てくれて、うれしい」「で、提案があるのだが、、。ここをこうしてくれたら、」「次は」今まで以上にもっと最高になるよ!」といって何回も何回も取り直す。つまり、「今」は最高。「次は」もっとよくなる。

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5-6. 「次の様な考え方をする事を、あなたは、許してくれますか??」

 

いちど、自分のために、「私にとって、世界で一番気持ちのいい、あくびを思いっきりしてみませんか。」だれにも遠慮せずに、「私にとっての」「世界一のあくび」をしませんか。「世界一気持ちのよい睡眠」などなど、自分の全感覚をフル動員して、自分であること(自然)を楽しむことです。「たったいっぱいのお茶に、大自然を感じながら、誰か(客)と一緒に飲む(喫茶去)するという一期一会」それは、どんな時代でも、どんな厳しい状況におかれても、ハッピーであることを感じてもいいと思います。「個人のうちなる体験の世界」に、「世間の眼や、教え込まれたことなどを持ち込んで」禁止しないでください。

 

「世界一気持ちのようあくびとはどうするの?教えて?」と聞く人がいます。

 

「マインドフル(心いっぱい)にどうぞ」

5-6-1.「愉快に笑ってみませんか」

 

テキサス・ジョークです。

 

ある人が「二週間前に、友人に連れて行ってもらったロブスター・レストランが、すごくおいしかったから、きょうみんなに食べてもらおうと思って、家族を招待しました。」

出てきたロブスターは、前とちがって全然おいしくないのです。それで、オーナーを呼んで文句をいいました。

●「二週間前に、友人に連れて行ってもらったロブスター・レストランが、すごくおいしかったから、きょうみんなに食べてもらおうと思って、ここに招待したのに、今日は、全然おいしくないのはどうしてだ。」

○「おいしくないって?そんなはずはありません。うちは、いつも同じように料理しています。事実、みなさんの食べてもらっているロブスターは、この前食べてもらったものと同じで、二週間前の同じ日に仕入れて冷蔵庫にいれて起きました。同じ海で同じ時にとれた、ロブスターです。」

 6.0.

人は時代と共にどのようにthoughts(情報・言葉・考え方・思考)に接してきたか

★★一般意味論の紹介(最終章)

 

しばらく間があいてしまいましたが、書き込みを再開します。これまでの間に、ホリスティックについて、メールでディスカッションをする前に、われわれの使っている言葉(thoughts)の宿命について知っておいた方が、実りのあるやり取りになると考えたのが、一般意味論の紹介を始めた理由です。最初三ヶ月ぐらいで終わろうと考えていたのですが、個人的な理由やホリスティック教育協会や医学協会などの人が、もっと入ってくるまでぐずぐずしてみようとしていました。以外と増えていないので、私のペースで進め、終わることにします。途中から参加の人もいますので、繰り返しの部分がありますが、あしからず。

 

 

6-1. 私の捕らえる一般意味論は、いわゆる「言葉だけの意味論ではなく、人間の身体の使い方(知覚神経を通じて情報の抽象の仕方)を知りトレーニングするホリスティックな教育方法」だととらえています。言い換えると[人間の「(thoughts)=(情報・言葉・考え方・思考)」が人間の行動に影響をあたえるか、また、人間の行動は「(thoughts)=(情報・言葉・考え方・思考)」にどのように影響を与えかについての知識と対処の仕方]を教えます。

6-1-1. 今までの流れについて

詳しくは、私のホームページを読んでください。いままでの一般意味論の書き込みが読めます。

★コージブスキーが一般意味論を作るにいたった時代的背景については、21世紀の前半の二つの世界大戦のあった時代でした。政治的なプロパガンダ (thoughts)の内容は、事実とは違うという事に気がつき、学問化し教育手法とした人です。今まで、言葉の持つ宿命について、触れてきました。また「地図は現地ではない」という当たり前だけれども、すぐに錯覚してしまう事例について紹介してきました。

人間は、出来事そのもの(What-Is-Going-On)よりも、出来事に関する地図=「(thoughts)=(情報・言葉・考え方・思考)」に左右されるという事です。催眠術の効果は、これに当てはまります。我々は、「地図だけを変えても、それが指示する現地(内容)は変わらない」と言う当たり前のことです。一般意味論などを学べば、地図と現地を切り離すことができるようになります。生存のためには、現地の方が地図よりも大切なことが多いなどです。そのほか、より安全な言葉遣いについても紹介しました。

 

今、一般意味論の紹介を終わるに当たって、今までとは、すこし違った角度から見ることによって、「結び」にしたいとおもいます。

 

 

6-1. 一般意味論のシンボルについて 

 

一般意味論のグループでは、下のようなマークをシンボルとしてよく使っていました。

  _

  A

 

Aの上に横棒がある文字が一般意味論のシンボルマークといってもよいと思います。これはノルA、つまり、 NON-ARISTOTELIAN SYSTEMS 非アリストテレス主義システムという意味です。この意味については、日本人には、なかなか説明に時間がかかります。アリストテレスは、古代のギリシャ人で科学の父と言われています。演繹法・三段論法で知られています。アリストテレス主義流の主張は、「言葉は現実を決定する」という事です。つまり、「文章の主語・述語の構造は、宇宙の法則(ロゴス)である。」と考えてきました。言葉(ロゴス)を使って考えること、たとえば、演繹法では、一般的な原則から個別的な現象を論じるという態度です。言い換えると、あらゆる個別の「もの」の中には普遍的なロゴス(thoughts)があると考えたわけです。一般意味論は、このような考え方を脱しようとして、非アリストテレス主義と言い出しました。これには、説明がいります。これに関しては、「ヨーロッパの思想史について知っておく必要があります。」このように書くと、身構えてしまいますが、簡単に言うと、

★★人は時代と共にどのようにthoughts(情報・言葉・考え方・思考)に接してきたか★★

 

を調べてみる必要があります。一般化することは、危険なことですが、次に(6-2)、ヨーロッパでのthoughtsのながれに簡単にふれます。

6.2.

西洋でのthoughts(情報・言葉・考え方・思考)の極端でおおざっぱな流れ by Iwasaki 2000/12/03

 

6-2-1 ギリシャのアリストテレスの時代

自然科学がかなり進んでいたギリシャ時代は、ギリシャ人(市民)とそれを支える奴隷からなっていた。その経済的な基盤は、植民地支配に依存していた。その時の普通の人々とは「奴隷」であってどのようなthoughtsをしていたかははっきり判らないが、支配者であるギリシャ市民には、識字能力があり、プラトンやソクラテスやアリストテレスといった科学者が、肉眼での観察によるレベルの、自然科学や言葉(数字)での思考による数理哲学などが進んでいた。こういう知識が現代に残っているのは、言葉の持っている本来の役割(知識を束ねて次の時代に送る=time-binding)のおかげです。

 

"6-2-3 中世 教会支配の時代">

ヨーロッパではキリスト教を信じる人達が増え、社会の中心にまで食い込んでいった。いつしか、支配層の王政社会まで力をもち、さらにしのいでゆく。教会が権力の頂点に居座るようになりました。そうすると、キリスト教のバイブルの世界観が絶対的なもの(thoughts)とみなされ、教え込まれるようになった。キリスト教に都合の悪い科学知識は否定されていった(たとえば、地球は丸いという知識など)

●そういう中で、アリストテレスは、キリスト教でもっとも受け入れられ権威のある科学者とされ科学の父として認められていた。すなわち、「イエスが言ったこと」はキリスト教の真理であり、「アリストテレスの言ったこと(thoughts)」は科学の真理であるとされた。いつしか、「アリストテレスのいうことだから正しい。」「言っていないことは正しくない」という判断基準が広がっていたようです。(これは、アリストテレス個人の責任ではない)実際に、私たちもこのような態度をとることがありますよね。「あの人の言うことなら間違いない」キリストやアリストテレス以外に、どのような人の名前があげられるでしょうか。仏陀、モハメッド、アドラー、アサジオーリ、フロイト、ユング、シュタイナー、クリシュナムルティ、あるいは、聖書やコーランなどなど。誤解しないでください。以上の名前の人を非難しているのではありません。「あの人の言うことなら間違いないと判断する★★態度★★」を問題にしています。

●体制は、一般の人達にどのようなthoughtsを教えていたでしょうか。異教徒やキリスト教のミッション(宣教者達)に反抗する者達を、殺したりする事は、悪ではないと教え込まれました。十字軍の遠征でかり出された若者達はそのようなthoughts(情報・言葉・考え方・思考)に対する態度を持っていたのでしょう。そして、どのように現地を見たのでしょうか。

●中世の、農民(農奴)など社会での支配される側の人達はどうだったでしょうか。キリスト教に支配される前からの、ケルトなどの伝統的(土着)信仰は、消えてはいなかったようです。また、グノーシス派などのキリスト教も、あったようですが、識字能力のない人達のthoughtsは、推測することしかありません。thoughtsを言葉で記録するという能力は、みんなの「もの」になっていなかったのです。逆に言えば、識字能力は、支配者の道具だったようです。

 

6-2-4 近代

ヨーロッパでは産業革命と共に、いままで安定?していた封建制度がくずれて行きました。国と国が、経済的な覇権をもとめて拡大政策をとりました。つまり、植民地と戦争の時代です。国のためになら、殺人や侵略と搾取が奨励された時代です。キリスト教も、その為のthoughtsと内容と解釈を変えてゆきました。●体制は、一般の人達にどのようなthoughts(情報・言葉・考え方・思考)を教えていたでしょうか。キリスト教徒同士が戦う時に、それを正当化するthoughts=logosが必要だったのです。どうも、今度は宗派が違えば、殺人はかまわないなど、はやり、支配する人の意図にそったthoughtsが、教え込まれていたようです。この時代の識字率は、工場で機械を動かしたり、兵器を使ったりするために、文字が読めて書ける必要性は次第に広がってきたようです。でも教会は、たとえばラテン語が使われたり、外交はフランス語などと、支配者たちの体制や宗派の都合のよい意図が反映されていたようです。

 

2000/12/13日の書き込み

6-2-5 現代

19世紀の終わりから、現在までを現代に入れてみます。(古代、中世、近代、現代と いう歴史の区切り方に、不快感を感じながら書き進めているのですが、、、?  現 代はどれだけ続くのだろうか??こういう事を忘れないで読んでください)

現代も戦争の時代です。二つの世界大戦や数多くの戦争が続いています。識字率がた かくなり、本や新聞などのメディアが広がり、普通の人でも読めるようになりまし た。続いて、ラジオやテレビなどで、普段は会えない権力の中心にいる人や遠くの人 のthoughtsが、肉声を通じて伝わってくるようになりました。どう言うことかという と、人々は自らの関心で「thoughtsを集める」ことが出来るようになりました。現代 は、人間の肉体ではなく、人々のthoughts を支配しようとする時代といってよいか も知れません。では、誰が、支配しようとしているのでしょうか。

 

6-2-5-1 政治的プロパガンダの時代(第二次世界大戦終了頃まで?)

戦争の遂行には、国を挙げて取り組むことになります。戦争のためのには、国民を兵 隊として教育しなければなりません。当然、「敵対する国は悪である。兵士として戦 うことが、国のため家族のためである」と美化し宣伝する。第二次世界大戦が終わる 頃までは、国の政治的宣伝(プロパガンダ)を、国民は無批判に受け入れるしかなかっ たようです。その理由は、そのほかに別のthoughtsがあるという事すら知らされなか ったからです。幸か不幸か、戦争や革命に巻き込まれて二つ以上の政権を体験した人 達は、その時その時の政府のthoughtsを聞かされて、どれも絶対ではないことを知る ようになりました。

第二次世界大戦頃から、ラジオや新聞などのマスメデイアが普及す ると、自分の政府にとって都合のよい宣伝をする政治の道具になりました。また、東 西の冷戦になると、自由に国境を越える電波メディアを通じて、宣伝合戦がおこなわ れています。一般意味論は、こういう時代に生まれたのです。コージブスキーは、 「地図は現地ではない」というのは、文字通り、彼の祖国のポーランドという国の名 前は無くなっても、現地のポーランド人も文化もあったのです。人々は、また、政治 的な嘘(現地の裏付けのない地図)に国民が影響を受けてきたことを知るようになりま した。

6-2-5-2 企業と商業メデイアの時代>

今も戦争は続いていますが、今は、国よりも、国境を越えたグローバル企業(金融資 本・コングロマリット・多国籍企業)が、支配するようになってきました。制度とし ての国はありますが、実質それを動かしているのは、経済組織(企業)といえます。変 な「たとえ」ですが、国の制度は、江戸時代の天皇制度ですが、実権を握っている幕 府は、経済組織だと言えます。そういう経済組織も、商業マスメディア自分たちに都 合の良いthoughtsを売り込むようになってきました。米の生産国である日本の学校給 食がパン食になったのは、お米がパンよりも栄養価が余っていたのではありません。 アメリカの穀物コングロマリット・多国籍企業には、小麦の消費市場の拡大が必要だ ったのです。また、アメリカとの湾岸戦争の後、米の自由化の声が強くなったのは、 それまでイラクに売っていた米の市場が消滅したという企業の圧力が入ったからで す。アメリカの商業マスメディアでは、その主要なスポンサーが問題を起こしても、 メディアがスポンサー企業を集中的な攻撃することは少ないのです。

 

6-2-5-3 グループメディアの時代>

ベトナム戦争の頃から、権力者のthoughts(情報・言葉・考え方・思考)の持つ意図に 賛同できない人達が、自分たち自身のthoughts(情報・言葉・考え方・思考)を共有で きるグループを作るようになりました。カウンターカルチャーのグループです。そこ では、独自なthoughtsがうまれました。そんな中で、さまざまな小さな規模の新聞や 雑誌やミニコミなどが出来ました。日本でもさまざまなミニコミができました。グル ープとは、小さな宗教団体や政治団体も含みますが、非政治団体や非営利組織です。 中には、世界的にも大きくなったグループがあります。(私も出していたのですが、 紙面の制限、その郵便代と印刷して郵便切手をはって、挙げ句の果てにはごく限りれ た人にしか配達されない。そういう事情で、コンピュータ通信でのミニコミに変えま した。今日で言うメールマガジンです。)

続く、

 

次第にthoughts(情報・言葉・考え方・思考)を発信する所の数が増え、その中身も多 様化してきました。市民の間では、thoughtsの相対性に気がついたのです。もはや、 言葉は神のつくった絶対ロゴスではなく、政府や企業や団体のロゴス(原理)が動か していることに気がつく人が増えてきました。次回は、情報化社会のthoughts(情報 ・言葉・考え方・思考)について書きます。

 

6-2-6 情報化社会の特色   電子回路にできた集合的無意識??

●インターネットという巨大な電子回路が、世界中を巡りそして個人の所まで配線されるようになった(電話回線などで)。たいていの政府にも宗教団体にも営利企業にも非営利組織にも犯罪組織にも学校にも個人ビジネスにも普通の個人にもつなげる事ができる。普通の市民が、自分のコンピュータや携帯端末を使って、巨大メディアや企業などの組織と全く同じ立場で、「(thoughts)=(情報・言葉・考え方・思考)」を発信する事が出来るようになった事は、今まにはなかった事です。この地球上に巡らされた電子回路(インターネット)は、「みずからの意図」でつなげれば、個人の意識にまで届くし・届けることができる。私は電子テレパシーと呼んでいます。つまり、肉声は聞こえない、顔の表情も見えない、ただ「thoughts(情報・言葉・考え方・思考)」だけが、次々と目の前に現れる。見方を変えると、巨大電子回路にうまれた「集合的無意識」と言えるかも知れない。「無意識」と書いたのは、この「電子回路」にどのような「(thoughts)=(情報・言葉・考え方・思考)」が存在するか、どのような影響を持つかは、だれも全部を知ることができないのです。

●しかし明確な「意図=will」があれば、「蜘蛛の巣のようなつながり(web)を通しての「thoughts(情報・言葉・考え方・思考)」の共有がおこる。つぎに、「ライフ(いのち・生活・人生)」のレベルでの人と人の「つながり=relation」に発展し、さまざまな、人間の営み(events or What-is-going-on)となってゆく事が可能です。こういうメーリングリストでも実証されている事は、「インターネットがなければ、決して出会えなかった人とつながる事が出来る」という事です。

●よい意図でホリスティックな繋がりをつづけましょう。

 

つづく、

6-2-6-1. 電子回路を通じて送られてくる「thoughts」の洪水に対処したら良いだろうか

●一人一人が「thoughts(情報・言葉・考え方・思考)」を発信し出すと、大変なことになってきます。どんなにすぐれた記憶力と速読力をもつ個人でも、処理できない量の情報がおくられて来ています。本屋や図書館には、一生かかってもよめないだけの本や資料があります。専門分野でもそうです。医学や科学や人文科学では、最新の報告や説や新たに翻訳されてゆく古典的資料などは、増えるばかりです。自分の専門につながる部分だけを必死に追いかけてゆくだけで、どんどん時間は消えてゆきます。そして、挙げ句の果てに「専門家は保守的で世間知らず」ということになります。

●結果的に、かなりの専門職の人が、「ライフ(いのち・生活・人生)」を感じる時間さえなくなり、自分の「ライフ(いのち・生活・人生)」が危うくなり、コンピュータやインターネットの情報を拒否する人も少なくありません。コンピュータ関係の人で、大工さんになったり漁師になった人は少なくありません。それも一つのオプションです。他にどのようなオプションが考えられるでしょうか。

●21世紀の教育のテーマの一つは、個人の記憶能力を超えた大量の「(thoughts)=(情報・言葉・考え方・思考)」とどのようにつきあうかということでしょう。まず、「地図は現地ではない」という事です。その区別を忘れないことですね。(地図は現地ではない)例は、ここの書き込みが保存されている私のホームページを読んでください。つぎに、 thoughtsを元に、人とどのように繋がってゆくか、それを元に「ライフ(いのち・生活・人生)」を完成させてゆくかという事です。それには、答えはありません。

●しかし、非常に悲しいことは、日本の教育制度の枠内では、知的能力の伸びる時期である十代の若者が接する「(thoughts)=(情報・言葉・考え方・思考)」の出所は、受験のために作られた、暗記型の教科書です。「問題には模範解答がある」「満点」「合格点」という概念がしみこんでいます。出題者の意図(ロゴス)しか探さない習慣が出来てしまうことは、貴重な人間の時間とエネルギーの浪費にしか感じられません。自分が生きてゆく上で、さまざまな問題はには、「正解が一つではありません。」そして、「模範解答もない」し、「だれも解決法を知らない」という当たり前の事がなかなか理解されないのです。アリストテレスの時代のいう普遍的なロゴスという考え方はあり得ないのです。多様な善悪(ロゴス)が存在するということになります。)

 6-2-6-2. 将来の可能性(選択肢)をどこにもとめるか?

●絶対的に正しい選択肢(世界観)がないとすると、歴史的に、「(thoughts)=(情報・言葉・考え方・思考)」にたいして人々が取ってきた態度が、そのまま選択肢として存在するということです。日本というまれにみる均質社会では気がつきにくいことですが、21世紀の地球上でも、これまでに述べてきた、「(thoughts)=(情報・言葉・考え方・思考)」に対する態度が、いまでもしっかりと存在するのです。

6-2-6-3. 個人の「(thoughts)=(情報・言葉・考え方・思考)」に対する受け入れ方

A. 受け入れるだけの段階

生まれた時から、無条件に存在するthoughts(文化)をしつけの様に教え込まれる。

B. 自ら学ぶthoughts (無批判)

判断の基準が育っていないときは、ただ、教えられたことを信じ込むことしかない。

C. 好き嫌いという基準で評価する(一貫性がなくてもよい)

複雑な思考や判断の煩わしさを避けることが出来るというメリットはある。

D. 評価(善悪)の基準をもつ (二元的ルール化する)

定義をして言葉とその意味を共有化する。

E. 評価(善悪)の基準をもつ (多値的ルール化・カテゴリー化して物事を判断する)

6-2-6-4. 個人の「(thoughts)=(情報・言葉・考え方・思考)」に対する接し方(発信の仕方)

F. 習ったことを言葉のレベルだけで発信する(受け売り)

G. 良いと感じるものをつたえる。一貫性のない

H. 良いと思考判断したものをつたえる。二元的な判断による。

I. 良いと思考判断したものををつたえる。アナロジーやメタファーとして物事を見る。

J. 実験により検証したものを伝える。(科学的検証)

K. 実験により検証したものを伝える。(経験的検証)

 

6-2-6-5. 他人とのthoughtsの交流の付け方

L. ただ一方的に、自分の好き嫌いや価値観を押しつける。反対するものには武力を使う。

M. 伝道者的態度で相手に「(thoughts)=(情報・言葉・考え方・思考)」を伝導する。

N. 相手に自分の持っている「(thoughts)=(情報・言葉・考え方・思考)」のメリットを理解してもらうように努力する。

O. お互いに 「(thoughts)=(情報・言葉・考え方・思考)」を交換する比較検討する。

P. 一つのテーマを Yes, No. の二つの視点に立って見る(ディベートする)。

Q. 複眼的に物事をみる。(ブレーンストーミング)

R. 実験実証的に物事をみる。(科学的方法=シミュレーションも含む)

S. お互いに体験して経験智を積み重ねる。

 

7.0. 21世紀の選択

●人間が「(thoughts)=(情報・言葉・考え方・思考)」に対してどのように接してきたかということにサラリと触れてしまいました。現実は、おびただしい争いがあり、血がながれたという歴史があります。現在の情報化社会は、いままでになかったので、どのように適応していけばよいかは、実はだれもわからないのです。つまり、先生も生徒もどちらも正解を持っていない。そういう社会にいます。ですから、問題ごとに、個人ごとに、それぞれのライフスタイルにあった正解を作ってゆくことです。情報化社会の中で、みなさんがこれから、どのような「ライフ(いのち・生活・人生)」を送られるかは私はわかりませんが、選択肢は、途中で「いつでも、変えればよい」と言うことではないでしょうか。

●たとえば、情報収集の為にインターネットに依存する時期があっても良いし、コンピュータを処分して、生活することも正解である。その中間の、曜日によって、あるいは季節によって、住む場所や仕事を変えてゆくなど、その接し方を変えることも出来る。あるいは、年令に依って、変えてゆくこともできる。

●ようするに、自分で決めるという意志の力です。ここでいう意志とは、だれの言うことも聞かないで、自分の信念を押しつけるいしではなく、うまく行かなければ、次にどうしたらよいかと次々に考えてゆくことです。

 

 

    最後に

 

●いままで、一般意味論の紹介として、言葉と人間の行動について触れてきました。あと一人が成長する過程で、どのように「(thoughts)=(情報・言葉・考え方・思考)」と接するようになるかについてふれましたが、その悲劇的な側面から学ばないといけません。歴史上で、十字軍に志願した若者、イスラム諸国のジハードのゲリラ戦士、大東亜平和圏を夢見た若者、特攻隊員、文化大革命で活躍した紅衛兵、などなど、純粋に 「(thoughts)=(情報・言葉・考え方・思考)」を信じて行動していった人達です。やはり、「地図は現地ではない」という例えに学び、現地をみる事を忘れないことですね。

●21世紀はだれも体験してはいません。つまり、地図がない世界をすすむのです。いつも目的別(個人のライフ(いのち・生活・人生)スタイルにあった、自分の時代の地図をつくる必要があるのではないでしょうか。自分が何をしたいという事が、ハッキリするに従って、混沌とした情報化社会の現地が見えてくるのではないでしょうか。それにしたがって、次の目的地にむかって安全な航海を準備し、嵐や時化などの障害さえも、備えて進めば、大変な時代でも、喜びを感じながら、進むことは出来るのではないでしょうか。

●これからは、一人ですること、家族ですること、仲間と一緒にすることなど、さまざまな「人のつながりたか」がうまれてくると思います。ちがった「(thoughts)=(情報・言葉・考え方・思考)」の人が集まって21世紀を生きていくのですが、「(thoughts)=(情報・言葉・考え方・思考)」の違いやを分析したり批判をはじめると、お互いが、防衛的態度になりがちです。それよりも、●「ライフ(いのち・生活・人生)」のレベルで交流を重ねていけば、「あの人達の考えていることは理解はできないが、信頼しても大丈夫である」という人間関係を築くことで、共存の道が探せるのではないでしょうか。

 

●さいごに、1999年の4月にダライラマ14世の講演で、若い人達学生に対しての非常にわかりやすい、励ましの言葉がありましたので記憶をたどり、まとめてみます。

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学校を卒業して、社会にはいると、さまざまな困難なことに出会う。困難・障害・妨害など一人の力では、予期しないこと、どうしようもないことに次から次へと出会う。

がっかりしたり、落ち込んでも、絶対に希望を捨てないことである。

 

小さな命のアリが歩いている前に、指でじゃまをしてやると、アリは、その障害をまわってさけて、先に進もうとする。また、じゃまをしてやると、まさ、障害を回ってさけて、先に進もうとする。何度じゃまをしても、ありは、先に進むことをあきらめない。

 

 

人間は、アリよりも、智慧もあるし能力もある。障害や困難や妨害はあるのが当然だから、あきらめないで。進むことをあきらめないでください。

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以上で一般意味論の紹介を終わります。予定よりもずいぶん、時間がかかりました。一般意味論の紹介を読んでの感想などもきかせてください。内容的にしょうがないとはいえ、正直言って、レスがないなかで書き続けることはつらかったです。もう前世紀のことですが、、。

 

 

では、

提案です。

2001年になった今、このホリスティックというメーリングリストのみなさん、みなさんにとって、どのような時代にしたいか、希望を書いてみませんか。いままで書き込みをしていない人も、coming outしてみませんか。このリストに登録されている人達の職業や専門分野をみてみると、必要に応じて力をあわせれば、すごい事が出来る人達ばかりです。お互いに助け合うことによって、両方ともメリットを受けるwin-winの関係が生まれるのではないでしょうか。

 

十分に、推考された文章ではなく、いっぱい書き込み中のゴミが消せていなかったりと読みづらいところがいっぱいありました。お詫びいたします。

 

 

 

uploaded Jan. 01. 2001

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